第11話 「人いきれ」
「“黄土色の香”は、いい人選だったね。深堀すれば個性のあるメンバーだし、それぞれ役割が明確に分かれていて、ユニットとしてのまとまりがあるよ。今までやってきた派生ユニットの中では長続きするほうなんじゃないかな。もう2曲目を書いてるんだけどね、もともとLL-GIRLSの春のシングルにする予定だった曲なんだよ。でも、あの明るさならこっちのほうがフィットするんじゃないかって思ったよ。“黄土色の香”にはグループ全体がもってる陰鬱さがないからね。底抜けに明るいイメージでこれからもいくべきだね。対照的で面白いよ。ファンもそれを望んでるんだよなぁ」
ミニパニックの定期打ち合わせで、冒頭に本郷上一郎は有利亜達の新ユニット“黄土色の香とエッフェル塔”について雑駁な感想を述べた。概ね上一郎はこの新ユニットについて満足していたし、今までにない感覚を覚えていた。放送作家の荏田耕作は、この言葉を聞いてだいたい上一郎の今日の機嫌を察した。



「CDの売上も上々なんですよね。今度、僕の番組にも呼ばせてください。中堅芸人とのからみも面白いでしょうし。」
「ああ、考えておこう。だが、まだあれはアンダーグラウンドに留めておきたいんだ。今くらいはファンのものにしておきたいんだよ。宝箱的なね。宝石箱だよ。」
その時、扉が開いてチェックのスーツ姿の男が入ってきた。上一郎は、それを認めたが一瞥をくれただけで話をつづけた。男は、上一郎に軽く頭を下げ、空いている席に座った。
「やってますね。今日も。先生、機嫌がいいようだ。」
その男・藤木満は、大手広告代理店・帝信の広告マンだった。満は、席の横に座っていた放送作家の羽深ユタカに声をかけた。しかし、ユタカは軽く笑顔になっただけで何も返さなかった。満がミニパニックの打ち合わせに来ることは最近多くなってきていた。元々来る者拒まずの姿勢を貫いてきたミニパニックだったから、広告マンだろうと参加したい者がいればそれを拒否しなかった。
「今のアイドルがぶち当たってる問題っていうのは、3つに大別できるんだよ。一つは情報的・技術的・物理的側面、そして文化的側面、最後は資金的側面。」
「へぇー、なんですって?情報的?」
藤木は聞こえなかったような手振りで聞き返した。


「情報的側面。つまり、アイドルという媒体を発信するメディア自体の限界のことだ。昔からくらべたらアイドルの活動の幅は広がったよ。ただ、やはり限界がある。それはアイドルだからこその限界なんだ。アイドルはもっと新しくて誰もやったことのない部分に出ていくべきなんだ。なぜならそれが、それがほとんど唯一のアイドルの定義だから。」
「なるほど、誰もやったことがないことですね。それには同感です。同意します。」藤木は机を人差し指でトントンやると、唾をすすってうわ言のように話した。「ええ、ええ実は今日ゲストを呼んでいましてね。後で本郷先生に引き合わせようと思ってたんですけど、ええ。そういう話をされるんなら、ちょうどいい。今呼びます。本郷先生がそういう話をされる機会はほとんどないですから。実に都合がいいじゃないですか。きっと彼らもそういう話が好きだろうし。ちょっと待っていてくださいね。ええ、いや本郷先生はそのまま続けてください。お構いなく。」
そういうと藤木満は、誰に了解を得ることもなく独りよがりに部屋を出ていった。


「えー。次に文化的側面だが。こいつは非常に厄介だ。何しろ自分がアイドルという文化を下支えしてきた裏方の人間だし、その文化に人一倍助力してきたという自負もある。だから、その作り出してきた文化の限界を自分で語るのもなんなんでね。だが、今も昔もアイドルを受け入れてきた文化には多かれ少なかれ問題があり、そしてそれがアイドルという定義そのものの限界を与えていることに疑いはないのだよ。」
上一郎は藤木の言動に気をそらされることなくつらつらと話した。机を囲むメンバーの中には、すでに上一郎の講釈じみた調子に集中力が切れ、ノートパソコンをカタカタやっているものも少なからずあった。そういうことすら今日の上一郎には気にならなかった。いつもなら上下の区別なく婉曲にたしなめるくらいはするのに。話さずにはいられなかったのだ。ここ最近のどことなく漂う停滞感からか、そういう雰囲気を孕んだ世間からの目が気になっていた。
「アイドルというのは、日本独自のものだ。海外にはアイドルというものは、日本でいうアイドルというものは存在しない。皆も知ってると思うが、だが、これがどうしてなのかを真剣に考えたことがあるか?日本の携帯電話が、海外のメーカーと比べて国内市場に特化したように、アイドルは日本に特化した存在なんだ。ジャパニズムという言葉があるが、まさにアイドルはジャパニズムの申し子だろう。語弊を恐れず言うと、あれが海外で受けるとは思えない。中国や東南アジアで日本のアイドルを歓迎する風潮があるが、あれはアイドルそのもに対する称賛ではなく、日本文化に対する単なる憧れに過ぎない。アイドルは、日本でのアイドルの顧客吸引力は、そこにはない。つまり、日本でなぜアイドルが生まれ、今の今までこれほどまでに多くの派生商品を生み出すことができたのかだ。」
「それは面白いですね。なぜなんですか。」
荏田が言った。彼は今の今までスケジュール帳とにらめっこしていたのだが、上一郎が文化云々を語りだしたときから、次第に引き込まれていった。


「要は、安定と秩序さ。安定と秩序。この2要素が日本の文化特有だったから、アイドル文化が花開いたんだ。元禄文化があの徳川の300年によって花開いたように。只問題だったのはこの安定が、経済による安定ではなく平和による安定であり、秩序は政府の介入による秩序ではなく、日本国民が従前からもつ従順さから来るものだということだ。平和は男と女の区別をなくし、国民がより中性的な方へシフトする傾向をもつ。そして、従順さは、逆に言えば奇抜なものを嫌う傾向だと言える。だから一般人が何の芸も認められることなくただその容姿の中性さだけによって人前に立たされた。それがアイドルだよ。それが俺がこれまで見てきたアイドルの本質なんだ。ここで一つだけ注釈を入れるとするなら、今言った“中性”とは、最初は確かに容姿や人格的要素の強かったはずが、今やそれを超えて職業的中性という広義の中性に変貌しているということだ。これは言わば日本社会の変貌と歩調を併せたといってもいいだろう。奇抜を嫌う日本人が、なぜ男とも女ともつかない中性的な仕事・アイドルを受け入れるに至ったか。それは結局、社会制度よりも先に文化的・精神的に日本の男女共同参画が進んだからだ。嫌むしろ、日本という国は、形上男尊女卑という看板を掲げながら、その実男と女は人間としての対等を勝ち得ていたのだと思う。」



そのとき、藤木が二人の男を引き連れて戻ってきた。一人は若く、もう一人は若いとも若くないともいえないが野心に満ちた鋭い目をしていた。読者は、彼らのことをもうすでに知っている。そのとき、一方は苦しめられ、もう一方は苦しめる側にいた。それが今日こうやって手を取り合って仲良く、この少々場違いなこの部屋へやってきたのである。そして、それを仲介したのが、この世界では広く幅を利かせている帝信の藤木という構図は、一見すると関連性のないものを集めたようなのだが、それでいてどこか同じだけの輝きという意味で共通しているように思われた。そして、部屋が人いきれと言っていいくらいに男達の参集しきったところで、それでもまだ本郷上一郎は語らずにはいられなかった。この長口上に何の意味があるのか、それは誰にもわからなかった。いつもの気まぐれだと思う者もいたが、どうやらそうではないらしいということを薄々感じ始めている者もいた。それは側近であればあるほど、そうであった。


「文化的側面。アイドルのそういう話を私は聞いたことがありませんよ。聞いたとしても、今そんな話をしようものなら、即刻変人あつかい。色物扱いですよ。先生。先生だから許されるってことをお忘れのようですね。いや、実に面白いんですがね。」

藤木は、人の好さそうな顔をしながら、目線を上一郎と、横に座った二人に交互にやった。
「初めまして。夏井と申します。こちらは山井さん。なかなかハンサムでしょう?これで一部上場の社長さんですからね。ああ、どうぞ。話の腰を折りたくないんで、続けてください。」

「どこまで話した?」
上一郎は、キョロキョロと細い切れ目の中の黒目を動かしながら動顛したことを隠さなかった。ああ、そうだ。文化的側面まで話終わったんだった。次は経済的側面だが、いやそんなことはもうどうだっていい。違う話をしよう。この方が重要なんだ。



地獄と天国とのちょうど分かれ道で、天使とも悪魔ともつかない水先案内人が霊魂のその生前の行いから弾きだした内申点を通告するのである。たとえば、その霊魂が生前手術によって大病を乗り越えた経験があるとする。すると案内人は、その行為に対して減点する。霊魂はなぜ減点するのかと問うだろう。すると彼はこういうのである。体に傷をつけることは良くないことである、だから生前傷をつけた分だけ天国からは遠のくのであると。すると霊魂はこう反駁するだろう。手術したのは自分を生かすためであり、それがなければ自分はもっと早くこの場にいただろう。少しでも長く生きることは罪だろうか?いやそうではない。減点はあくまで傷に対してなされたものであって、傷をつけた理由の如何を問うてはいないのだ。つまり、他人を害する目的で傷つけた行為も、自分の生命を守るためにした施術も結果的には同じ“傷”であり、“減点”なのだと。そのとき霊魂は悟るのだ。もはやそこは生前の理屈など一切通用のしないあの世なのだと。あの世にはあの世の論理があり、それは生前の論理とはまったく異なる。食い違うでもなし、辻褄が合うでもない。まったくの別物なのだと。今まで培ってきた道理でない道理は、なにも死後の世界だけの話ではない。むしろそういう世界観の隔たりはこの世の方がまかり通っているとさえ言える。ではこの世界の隔たりは何なのか。世界を隔てる理由は何なのか?生と死を分ける意味とは何なのか?そこまでして生きていることと死んでいることをはっきり区別することに何の意味があるのかが重要だと思えてきはしないだろうか?帰納的に考えた方がいいかもしれない。ならば死んでいるか生きているか判然としないふしだらな世界があったとしよう。


そういう不真面目な統一的な世界は果たしてどういう不法を放逐しているというのだろうか?


 法は国を塀で囲ってからできたものだ。塀の中の“安定と秩序”がそれをもたらした。ではその安定と秩序がなくなり、国がなくなれば法は破壊されるだろうか。ここまで来たときに、最初に出した例が実は絶妙な思考実験だったということに気づかされる。思い出せば、そこにはあの世とこの世、天国と地獄の境界がありそのちょうど間で案内人があくせく働いていた。この案内人こそが法そのものなのだ。そして、帰納的道筋をたどるならば、この案内人の有無だけが唯一の違い、隔てられた世界と統一された世界の差だということに気づかされる。つまり、つまりだ。この世界に付属していると思われていた案内人は、実はこの根源的な構造を定義する重要な要因だったのだ。そして、よくよく考えれば案内人とは何なのかが見えてくるだろう。それは霊魂だということにたどり着く。この結論はいささか不可解かもしれない。なぜなら最初に霊魂と案内人とは完全に区別されるべき存在だということが前提だったからだ。しかし、よくよく考えてみれば案内人が具現化する必要性はないし、必要性がないならば存在しないわけであり、案内人によって表現されていた法は霊魂の内的な作用の一つだったと考えるのが自然である。そしてその内的な作用により世界の隔たりを構成する外的な作用が引き起こされていたのだと考えられる。
 ここまでを整理すると次のようになるだろう。つまり、世界の隔たりを構成するのは、その世界に住む住人一人ひとりの内的作用が原因となっている。それはいわば法であり、内的なものから外的なものへと変換されているのである。しかし逆の流れを考えることはできるだろうか。つまり外的作用が内的なものに作用し、世界の隔たりを破壊するという仮説である。



「つまり、何のことなんです?それは。」
ついに耐えきれなくなった一人、誰かは分からなかったが、疑問を投げかけた。
「つまり。つまりは、アイドルという隔たりは、今まで内的作用により生み出され、それに基づき運用されてきたわけだが、外的作用による破壊が可能であるという点で不完全さをあえて残しているということだよ。」
「アイドルは、競争社会の縮図だというお考えをお聞かせ願いたい。私どもはそれを聞きにきたので。その不完全性についての議論がどこに行きつくのかは、私どもの興味の範疇にないように思われます。」
夏井が言った。彼は長い演説に草臥れる様子もなく、冷静に趣旨を引き出そうとしていた。
「そんなことを言った覚えはない。ただ、アイドルに競争社会を導入したのは、それを破壊するためだよ。それが今言った外的作用になり得ると思った。」
「自ら作ったものを、自らの手で破壊しようと思った?」
「そう。地獄を見たい人間なんだ。私はつくづくね。普通の作詞家ならヒット曲を一本書いたら、次の詞を書くのを少しは躊躇する。いつでも人は成功に溺れていたいものなのだ。でも、私はある時からそれを意識しなくなった。アドレナリンにより、それを麻痺させ、とことんまで、救いようのなくなるまで自分を地獄へ運ぶように、詞を書き続けた。それと同じで、自分で作ったものを壊すのも自分だと思っている。その先に何があるか?それがより良いものなのか、その逆なのかは考えない。ただ、地獄見たさっていうやつさ。」
「先生は、先ほど、文化的側面と仰いましたが、私にはそのような観念的なものがアイドルにあるようには思われません。幼少の未成年が、単に青春群像としての意味合いで影を落としているようなものだと思っています。先生のおっしゃられたような日本近代史からの類推は少々的を外しているとしか言いようがない。エゴイズムというやつです。」


「エゴか。いいだろう。エゴと言ってやってくれ。確かに、私の生み出したアイドルは、アイドルという構造は、有りもしない多くのアイドル論なる“後付”の勃興を許してきた。不完全性に引き寄せられた自称知識人たちを多く集めたのがその原因かもしれない。とにかく、アイドルは実に多くの側面から人を惹きつけ、惹きつけた結果その理由を後追いで説明されるという事態に陥ったのだ。私が言いたかったのはまさにこの点なのだよ。アイドルは自己を説明させる存在なのだということ。逆に言えば、
アイドルは自己に言及しない唯一の存在なのだ。
アイドルとはなんだと思うね?私にはありとあらゆる道具立てで、知る限りの語彙でそれを説明する自信があるよ。誰だってそうさ。ファンは皆、アイドルという者に対して明確な定義をそれぞれ持っている。でも、一旦立ち止まって考えてくれ。なぜそんなに明確な定義が必要なのかと。あらゆる物にぞんざいな存在価値が割り当てられるこの世界で、なぜそこまで必要以上に“宿命づけられる”のか?それは辿ってみれば、自己説明の無さに行きつくのではないかね。」
上一郎は、左手で万年筆をくるくると回し出した。数回やって最後に激しく机にそれは転がった。
「例えば、あるバラエティ番組にアイドルが出演していたとしよう。人は知らない女の子がテレビにさも当然のごとく出演しているのだから、疑問を持たざるを得ないだろう。彼女についての情報を欲しがるわけだ。だが、アイドルというものは自己を説明しない存在なのだ。だから、いくらネットで調べようが、テレビ欄をあさろうが、彼女についての情報にはキリがなく、最終的に視聴者は“なんだアイドルか”という自己撞着な結論に落ち着くのである。かもしくは、“このアイドルは犬好き”などという非常にPoorな情報にさえ満足しきってしまうのである。」
夏井は、山井をちらっと見た。興味をそそられているような強い目つきで上一郎の話を聞いている。夏井は、山井のそういう何にでもとりあえず従順な部分に危うさを感じていた。そして一方で、その部分からの巻き返しが彼の最大の武器だとも思っていた。誰もが行き詰る場所で、山井は息を吹き返すことができる。
「カントールの対角線論法だ。自己を説明できないなら隔てる壁は無限に広がっていくのだ。つまり、一旦自己を説明しだすと、永遠にその説明は終わらない。つねに説明しようとする事柄よりも、説明が尽くされていない事柄の方が多いのだ。これは無限の定義だと言ってもいいだろう。アイドルというのは無限に広がりをもつ存在なのだ。夏井君とか言ったね。君は私がさっき言ったアイドルの文化的側面についての分析について、的を外していると言い切った。それは真だ。確かに文化的側面についての側面は大いに的外れで、アイドルを説明するには不十分だ。だが、外苑は確実にとらえていることも事実だ。そして、その外苑をとらえきれていないことも事実なのだ。だから、例えば君が私の文化論に対する新文化論を打ち立てたとしても、それは完全なる形式を完備していない。どこまでいってもアイドルという言葉を説明する文には不十分さが残る。つまり、何かをアイドルとして定義すれば、必ずその何かに外れるアイドルが定義されてしまう。歌って踊るのがアイドルと説明すれば、歌いもせず踊りもしないアイドルが必ず重宝されるようになるのだ。これはアイドルの備えている重要な構造なのだよ。どうだね、私の話は本質をとらえているように思わないか?」


「アイドルというものが、ただの言葉だということがよくわかりました。」


夏井は机の下で足を組み換えて、そう言った。上一郎の言った言葉の難解さを理解していないのか、それとも理解した上でちゃぶ台を返すように無視したのか、誰にも察することができなかった。
「言葉は何かを説明するためのものだろう?人は“アイドル”という言葉によって彼女達を説明しようとした。そしてそれは無残にも失敗した。アイドルという名札を付けた途端、名札をつけていない女の子たちがアイドルを名乗りだしたのだ。そして、その名無しのアイドルが平然と世の中に受け入れられることになってしまった。信じられるだろうか?言葉が意味をなさないだけでなく、言葉が何か動的なものへと変換されてしまう“あの存在”を、私は今まで自分で作ってきたと自負していたのだ。だから、自分で作ってきた物だったはずなのに、まったく由緒のない物が私の名前を冠していることだってあるのだ。
自己拡大だよ。
彼女たちの動的な意味を通して、自己の定義が拡大していく。こんな体験は稀有だと感じたんだ。だから私は抜け出せなくなった。私という存在の動的回路に一旦足を踏み入れたばかりに、そこから抜け出せなくなってしまったのだ。常に私の存在は、彼女達の拡大し続ける定義に伴って拡大していく。これは終わりなき旅だ。本当に疲弊することがある。それは結局、自分という世界と彼女達の世界との間の変換機能が、ある種の劣化を包含しながら機能していることに他ならない。私はアイドルではないのだ。いや、そう言ってしまった時点で私はアイドルなのだ。しかし、劣化により私は体半分以上アイドルから脱却できてしまう。そしてその夢を見ない脳の一部が疲弊していくのだ。今、私の体の中のアイドルはせめぎ合っていて、常に葛藤を繰り返しているんだ。純粋なアイドルのもつ安定と秩序を、私の体では体現できない。私はアイドルを説明することにより多少満足し、そして自己をアイドルと区別できてしまう。いや、正確には区別できると錯覚し、その実膝丈までアイドルにはまり込んでいて、それでも自己を説明できると言い切ってしまうのだ。アイドルに関わってしまったばっかりに、自己を説明できなくなった哀れな私という存在を、救う手立てはあるだろうか?」
「オーケーわかりました。非常に本質的ですね。それで十分。先生の言いたいことの2割はとらえられたつもりです。いや、それとも残りの8割でさえ背反が存在すると言ってしまうのですか?堂々巡りはもうやめましょう。私は、今日ある提案をもってきたんですよ。」
夏井は、鞄から書類を取り出した。A4用紙が束になったそれは、体裁よくクリップで止められており、一人づつに配られていくのであった。



「これはなんです?アイドル証券??」



荏田は、すかさず疑問をぶつけた。資料の表紙にその言葉が疑いもなく記載されていたからだった。
「そう。アイドルもなんだって、今や金融派生商品になる時代です。だからアイドル証券。時代を先どってるような気がしません?」
「ゴロはイイね。アイドル証券。リズムと音の響きは、評価するに十分だ。」
上一郎は、言った。さっきまでの演説はどこえやら、渡された資料にさっと目を通して夏井に目くばせした。説明を続けてくれの合図。
「つまりです。アイドルに値段をつけようじゃないかってことです。先ほどの話に戻るわけじゃないんですが、アイドルを説明しようって輩が、これに飛びつくはずですよ。アイドルを自分の所有物にしたいって、誰だって思うでしょう?そこに甘い手を差し伸べてやるんです。そして、アイドルは投資対象にすり替わっていく。投資資金は、一部アイドル活動に使われて、投資金額の多いアイドルはどんどん活動の幅が広がっていく。そうすればそのアイドルの値段が吊り上がり、さらに多くの資金を集めることができる。一方で吊り上がったアイドル株を売れば、差額で利潤を得ることもできるわけです。どうですWin-Winな上にエンターテイメントまで孕んでいるなんて、日本的じゃないですか?」
「こんなの人身売買にならないですかね?法的に問題ないことは確認しました?」
「ノープロブレム。アイドル自体を株式会社化することによって、問題は実にクリアになる。既存の法体系の範囲で運用可能です。」
「で、我々に何をしろと?」
羽深ユタカが言った。その顔には深い疑問の様子が現れている。
「こんな大規模なシステムの構築には、皆さんのようなエンターテイメントに深く関わるアーティストの協力が不可欠です。そして、LL-GIRLSというプロトタイプは我々にとってベストチョイスなわけです。本郷先生、先生ならこれがどれだけ画期的で爆発的なのか、お分かりいただけると思います。」

「LL-GIRLSを壊す気ですか。」

荏田が言った。
「壊すわけではありません。構造を入れるだけです。」
「こんな複雑で、お金の絡んだシステムを一度導入すればLL-GIRLS自体が持ちませんよ。これがもし失敗したときに、もう後戻りはできないでしょう。そうなった場合の補填案を考えていらっしゃるんですか?」
「補填なんて。ナンセンスです。このシステムはLL-GIRLSの根幹になるでしょう。そして、これなしにはアイドルというものが定義できないくらいに、根本的なアイテムになることはもう確実なんです。補填なんてそんなことは、成功した後に思い出話で考えればいい。今考えなければいけないのは、いつからこれをやるかです。ただそれだけです。」
「先生、僕は賛成できかねます。この案は、従来のエンターテイメントの枠を大幅に超えるものだし、とてもじゃないが運用しきれるわけありません。奇抜なアイデア好きの先生でも、今回ばかりは本当に乗るべきじゃないと思います。」
荏田がこういうのには、それなりの危機感があったからだ。これが本郷でなく、例えばREPの社長だったら、間違いなく門前払いなのだから。問題はこのプレゼンを受けた相手が本郷上一郎だということだ。彼は業界で、今まで何回も常識を覆すようなことをやってきた人だった。その度に猛烈な反対を押し切り、業界の常識を塗り替えてきた。そして市場を拡大させてきたのだ。本郷が乗らなかった舟はない。なぜなら本郷が乗ったものが舟になるからだ。業界ではいつからかそんな風に言われるようになっていた。本郷が道をつくり、それが当たり前になる。荏田も何回も何回も、それを見てきていたのだった。



「いつからか。いいだろう、来月からだ。私はこの音の響きで決めたよ。夏井君、それと山井君だったかな。明日、私の事務所で詳細を詰めようじゃないか。」



「先生。」
「荏田、心配するな。LL-GIRLSがつぶれても私は潰れない。面白くなるぞ。いや、必ず面白いものにして見せる。」



「一つ条件があります。」



そう言ったのは、山井だった。本郷は、瞬間的に冷たいものを感じた。そして、その一瞬の話ぶりから、彼がただの若社長でなく求道者であることを悟ったのだ。
「面白い。提案した側から条件を提示するなんて、論外も論外なのだがね。」
「すみません。ですが、ひとつ重要なファクターを言い忘れていました。夏井さんにも話していなかったことなので、当然なのですが。」
夏井は、何も聞かなかったような顔で山井を見つめている。
「それは初期価格設定についてです。各アイドルの初期価格は、私に一任させてください。」
一同は騒然となった。
「どうして?初期価格は、前もって価格調査するかして決めれば、いくらでも適性に決めようがあるでしょう。それをなぜ、山井さん、あなたの一存で決めたいとおっしゃるんです?」
「私が世界の創始者なるからです。つまり、このシステムのすべての責任は私にあるからです。」
本郷は薄ら笑った。
「自分一人ですべての責任を負うつもりかい。」
「はい。」



「なるほど、君は神にも、悪魔にもなれるだろう。  



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