第12話 「アドミッタンス」
秋風が感じられるほど心地良い涼しさが漂う晩であった。本郷上一郎は、窓から入ってくるその風で熱くなりがちな思考を冷ましながら、仕事を続けていた。そして、少しぼぉっとして、キーボードを打つ手が止まりがちになると、軽い軽食でブドウ糖を補給するのだった。
自宅の2階の書斎だった。5年前に長期のロンドン滞在から帰ったときに、高台に数億円で建てたものだった。妻が内装から外壁の素材までこだわりにこだわったこの傑作だが、この書斎だけは、上一郎の意見が多分に聞き入れられた。彼はこの書斎で人生の大半を過ごし、人生の大半を語ろうとしているのだ。白の窓枠に、グレーのカーテンがかかっており、今はそれらが開けられていて、月の明るさだけが感じられた。月明かりの下で、食べ物を食い漁っている自分はまるでネズミのようだと、良識のある人ならそう思うだろう。



どのようなものでもそうだが、食事をとるとき、彼はどうしようもなく苦痛を感じるのである。食事に限らず、睡眠、排便など、自らの生命を維持するために必要な行動について、それが必要であればあるほど距離をおきたがる傾向にあった。それは、昨日長々と話したあのような精神論とは、遠いところにあるように感じられたからであり、そういう精神世界の住人であることを望む上一郎にとって、人間に戻らなければいけない瞬間は耐えがたいものだったのだ。しかし、それも結婚後はずいぶん自制できるようになった。体の衰えから食事は量が減り、油ものをとらなくなった。睡眠については、夜遅くまで眠くならず、朝早くに目が覚めてしまう。そして排便についても、小便は近くなったが、大便については量が減ったような気がする。だんだん、自分が人間から離れてきていることを感じていた。長い助走を経て、人間は死の扉を叩く。

一方で妻という存在が自分の存在意義として大きな役割を果たしていることはいうまでもなかった。そこで、上一郎は初めて巡り巡った自我に煩悶する世界から抜け出せたような気がしたのであった。ほとんど毎日していた自慰行為についても、結婚後はしなくなった。性欲という自分の中の人間的な部分を、結婚が浄化したという意識は、彼のすべてに影響し、それまで漫然と馬鹿にしていた結婚神話というものを、自然の摂理として真正面から受け入れるようになったのである。自分も自然のからくりの一部なのだと、そこで受け止めることができたのである。あんなに嫌悪していた人間の動物的一面を、今は意識しないくらいに自然に思うようになってきていた。在り来りな文字、定型文に胸を打たれることが多くなったのもその頃からである。言葉の本当意味を超えて、その言葉全体以上の前後関係、背景からその言葉が繰り出された事情などを鑑みて、総合的判断により単なるイメージを抽出し、抽象化し、そしてそれを考えることもなく飲み込んでしまうのである。その言語体系に長く浸るということは、一から十までを見る必要はない。一だけで十分であるときがほとんどで、それよりも重要なのは、一の前の十であり、そのまた前の一であり、結局のところ冒頭なのである。冒頭こそその文章、言語体系により表現されるべき抽象的対象を決定づけるものであることを理解できる。些細なことはどうでもいい。細かい言い回しなど読むに値しない。一番重要なのは、冒頭の3文字と自分の脳に蓄積されたイメージ、もしくは具体的場面とがリンクし、化学反応が生じるかどうかだ。話を戻そう。

 結局自分という存在は、土の中に埋もれたくない只の神秘主義者だったのだ。それは偏愛であり、潔癖だったのだ。一方で、彼が今最も大切にしているのが、その神秘主義だったのだ。しかし、博愛に目覚めつつ、神秘主義を大事にすることは難しい。きっと彼の中で終わらない葛藤が繰り広げられているのである。もしくは秒単位で、その都度二つの自分が入れ替わり立ち代わり、そうやって自分を形成しているのである。土にまみれながら、土と離れて生きる。現代人のアルゴリズムに逆らうことなく生きるのは容易い。だが、それは少し掘ってみれば欺瞞や偽装に満ちている欠陥住宅だ。見ないように生きるか、見つめていきるかでは言葉ほどの差はない。重要なのはそこから這い出ることであるように思われる。現にこの都心は今もなお物理的に地盤が沈下する一方なのだ。なのに、自分はそうしない。殻に過ぎない自分の意識が、内部にうごめくマントラを支配することができるようには思えなかった。決断には、莫大なエネルギーが必要である。本当の決断を下した人間なんて、この世に何人もいないだろう。人は経歴に不連続を施すことなどできない。そういう接続から逃れることは簡単にはできないのだ。
 よく言われることだが、一本の定規で見れば、結局この世には2種類の人間しかいないように見える。“頭のいい人間”と“愚鈍な人間”だ。自分は、前者だと思う。その意識がこの人生を追い込んでいるひとつの原因だということを彼は理解していた。頭のいい人間にも無数に種類がいることには違いない。しかし、共通して言えることは、彼らは愚鈍な人間を出し抜き、差別し、支配し、管理し、徹底的に搾取する側の人間なのだ。彼らは毎日その日の食べ物のために油を機械に注ぎ込んだりはしない。彼らは、どちらかというと彼らに油を売り、機械を売り、食べ物を買い、ありもしない安心を金に換えるのである。自分はどちらかというと、そういう人々の仲間にある。しかし、それを全霊で享受しようとは思わない。結局、それは愚鈍な汗の代替であり、途方もない酷使の結実だからである。我々はそれをこともなげに貪ることはできない。その日一日を愚鈍な諸君に感謝し、愚鈍な諸君は仮初めでも我々に感謝するのである。もちつもたれつやってきたこの人間界のいざこざに、もはや頭がついていかなくなっただけなのかもしれない。いや、さにあらず。

 行動を起こさない限り、今ある不安を払拭することなどできない。大きな行動を起こせないのであれば、小さな行動を繰り返すことでその代替とはならないか。誰しもがそうやって加算原理のようなものを“行動”に適用する。しかし、これは言わば博打的であって、そういう徒労を通行料に払うことはできないのである。次の瞬間の運命は、もはや確率論でしか語ることは許されない。そうだ。その確率的未来から見た過去でさえ、結局は確率的過去でしかないのである。過去と未来は全単射で結ばれていない。未来の自分は、結局確率的過去によってより不確かになっていくのである。つまり、私という存在は、時間とともにふやけていき、空間に溶け出し、最後は消えてなくなるまで果てしない希釈に耐えるしかない。そうやって有限の希釈時間に耐えられるのは、人間が無限の空間の中の無限の部分集合であるからである。




・・・・妄執だろうか?




 人間の発展過程が時間に伴って一から十まであったとして、それは真に一が重要なのであり、人間の意味は一にすべて集約されている。一方で希釈された十はその意味情報という点でかなりの部分が失われている。少なくとも、ここまでの議論ではそうなのだ。

 数々の偉人・変人が、言葉を紡いできた。それはここ現在に至るまで語り継がれるだけの価値と、何かを備えているからこそである。ではそのような“ある種の真実”を語る言葉の向かう先はどこなのだろうか?ある偉人が発した言葉と、ある変人が発した言葉とを比べて、組を作る。そして、また別の偉人の言葉と比べて、また組を作る。そうやって、どんどん大きな組を作っていく。組の中では、ある物とある物は同じ意味を包含しているかもしれない。また、違うものを含んでいるかもしれない。そうやって、ある組の中で、意味の鎖をつないでいって、最後に行きつく先はどこなのだろうか?言葉にはある種の原点が存在するはずだ。もっとも原初的な言葉。それが最も意味をもつものなら、鎖の最後の言葉は、最も意味のない言葉であるはずだ。意味をほとんど持たない。意味を持たない言葉など存在する価値はないかもしれない。だが、意味の最果てという意味で、何かしらの達成感は残るかもしれない。
 間違いを恐れず、ある大胆な仮定をしてみたい。つまり。無数にある言葉の組、鎖の行きつく先が、たった一つの最果てだったとしたらということである。それはきっと一番意味のない、人間から遠い言葉であり、きっと無駄以外の何物でもないだろう。ただ、多くの偉人・変人が、その言葉までつなぐために、先代から受け継いだ言葉をまた自分の中で連想し直し、一つの見晴らしのいいある種の到達点までもっていったとすると、我々もまた少なくとも言葉を紡ぐものとして、その連鎖の中途にいることは疑う余地はない。ゴーギャンも良く言ったものだ。実にこの不愉快な連鎖に、知らず知らずのうちにこのゲームに参加したものは、皆無駄な一点だけに向かい合い、意味的なものをすべて肩で切って、背を向けて走り去るのである。


 ある到達点に至ったと確信できたものはまだ幸いであることは疑いない。一層無残なのは、同じところをぐるぐる回り、そこから抜け出せず、ただ物理的な限界によってのみその世界から抜け出せるだけの存在と化した者たちである。彼らは、意味の世界から決して抜け出したと実感できることなく、意味から生まれ、意味に消えていくのだ。過去を意味あるものと誤解し、疑いのない未来へ向けて過去に見出した意味を提示し続けていく。一秒先の未来さえ、過去に通用した方法が同じように適用できるかもわからないのに。そうやって、未来へ向けて一歩進んだつもりで、過去にとどまっているのである。未来も過去も同じくらいに不確かなのだから、そういう錯覚が起こってもおかしくはない。

 ひとつ重要なのは、その最終目的地に到達したとき、人間は言葉を失うだろうということである。人間は言葉を発する必要がなくなる。なぜなら、その意味のない、無駄な言葉が過去のすべてを継承し、もはやそのような些細な細々とした実務的な、“熱い”だの“眠い”だのとかそういう言葉をすべて言い表しているからである。つまりそれは、言葉の次の次元。読者の中には、今笑ったものもいるかもしれない。この辻褄の合わない絵空事が、到底信用にたるものではないからだ。だが、本当にそうだろうか。この私によって紡がれた言葉の連鎖には、一辺の真実もないだろうか。もし本当に嘘で紡がれつづけているならば、“本当”で紡がれ続けている鎖が存在するとは言えないだろうか?確かに、紡がれて到達できない到達地もある。そうだ。ただ、紡がれて到達する目的地は間違いなくあり、それは視野を広げていけば必ず、一点で交わるとは神話だろうか?だから尚我々は、言葉を紡ぎ、その意味のない到達点へ向けて、舵を切っているのである。そうすることでしか、それを証明できず、また本当に意味のある出発点も見えないからである。


 行間を読まない読者のために、補足しておくと、その意味のない到達点と、意味のある実際上重要な出発点とは、無限に見える言葉の鎖で繋がっている。到達点から出発点へ行く方法があるならば、我々は全ての言葉を言い表すことができるだろう。つまり、そのとき我々は、意味のあることのすべてを我々の言葉によって言い尽くせるのである。穴だらけの言語体系ではあるが、意味の世界を言いつくせるなら、それで十分なはずである。だから、この人類が続けてきた言葉のゲームは、真に自分達が作ってきた言葉という道具が、実用にたるものかを証明してくれるはずである。




 ある著名な研究者が、文書を書くときに重要なのは、「何を書かないか」であると言った。それは結局、何が言葉で書けないのかを知っていなければできないことである。だが残念なことに、何を書けないのかを、我々はほとんど知らない。




 上一郎は、そのような事を考えながら、作詞に行き詰まり、ふと時計を見ると夜中の3時を過ぎており、部屋を出て、階下の静まり帰ったキッチンで洋酒の蓋を開け、並々とグラスに注ぐと、再び2階に上がって、夜風に当たりながら、それを少しずつ口に含ませるのである。


 有利亜の日常は、忙しなく過ぎて行っていた。もはや毎年恒例となったファン投票。上半期10位。下半期10位。停滞する順位に気持ちが焦った。ひとつ一つの仕事をそつなくこなした。結果的にそれはファンを本当に見つめてはいなかったのかもしれない。相手の気持ちに立つことができるメンバーは、有利亜の周りで着実に人気を挙げていった。バラエティ番組のゲストで三井さくらと一緒になったときがあった。彼女は、またとない絶好の仕事だとはりきっていた。あきらかに自分とは温度差がある。それなのに視聴者は、同じLL-GIRLSというアイドルのくくりで自分たちを見ているという断絶感。
自分はさくらとは違うのにという、無意味なプライドが有利亜に芽生え始める。昔はこんなんじゃなかったのに。初めてもらったたったひとりで出演できるキー局のドラマの仕事。プロの俳優に囲まれながら、自分もミスなくやり遂げることは、彼女の一番のとり得だということ。スポットライトが自分にあたる。その物理的な光だけが、彼女の栄光の道を照らし出しているような気がした。「ありがとうございました。」その言葉の言い方が、彼女なのだ。「よろしくお願いします!」そして、そうなる。その繰り返し。そんなときだ、LL-GIRLSが変わるらしいと聞いたのは。


 原宿の竹下通り。英語なのか、なんなのか異言語の看板・カンバンがずらりとその蜃気楼の向こうまで華やかに色を添えている。頭文字をとると、暗号だろうか?警告?「L」、「P」、「O」、「L」、「L」、「L」「LLLLLLLLLLLLLLL」。どこまでも続く、「L」の列にやっとそこが夢の中だということに気づく。自らの意識を高めることで、自然と目が開き、朝焼けに照らされた部屋が姿を現す、そうだまた今日も、昨日の続きなのだ。自らの意識で遊ぶのはやめよう。現実とは、この体のことだ。意識と体とは不可分なものとわかっていても、ついつい自分という、自我という、なんぞや(そんなことないのだから、もうなんだっていい)というものが体と分かち得るものだと思ってしまう。誰だって、そうだ。ただ、その二つの意識の厳然たる存在を、一体何人が真剣に考えただろうか?体が意識と不可分で、それらが単なる“情報”としての存在だけなら、我々生命は、ナスカの地上絵のごとく、何万年という時空を超えてタイムスリップすら容易であろう。ナノ寸の世界では、個々の同種粒子について見分けがつかない。それは結局、自らを構成する個々の粒子については、なんでもいいことを暗示している。情報としての自分が、情報として別時空で再構築されたなら、自分は両方の時空で存在することができよう。これは新たな親子殺しのパラドックではないか?親殺しの何某を否定しようとして、出した案が新たな親殺し、いや自分殺しを演じるとは。これいかに?意識とは何か?体のホルモンバランスが、どこまで自分を支配しているのだろうか?深淵を孕んだ大海原が、鮮血の源であり、我々一族の内部に脈々と流れるこの海は、その馬鹿が存在しているだけで生命の祝福を受けているなんて。嫌になる。そして、私もその泥濘の一部なのだ。そして、我らは家族であり、どんなに嘲笑し、憎み、殺意を抱き、笑い、苦しみ、寄り添い、殴り合い、押し合い、かき分けたところで、その事実はどうしても私の血によって証明されるのだ。そして、私はその血に嫌気がさし、真昼の鬱蒼とした林の中に真の汚物があるのではないかと妄想するのである。これは完全に拘泥である。馬鹿げた、本当に馬鹿げた一族共の暴力には、ほとほと嫌気がさし、そして結局この世界が嫌になるのである。そうしてようやく、彼らの言っていることの意味を、咀嚼できるようになるのである。なぜなら、一旦懐に納めずには、ふんぞり返って腹を抱えるだけだからである。彼らの文化は、多様に見えて一様。本当に私以外の人間は、どこに向かってそのとめどなく循環する血潮をたぎらせているのであろうか?


 本条みゆきが、その計画を知ったのは、ちょうど事務所で打ち合わせがあるからといって呼び出されたときである。前日がちょうど休みだったから、家族で買い物をしていた彼女は、その買い物で買ったばかりの、それは当たり前なのだが、一番のお気に入りのワンピースを着て、この新宿の雑居ビルへ足を運んだのである。打ち合わせをする部屋にあったパイプ椅子は、机に正対しておらず、そんなことはどうでもいいにも関わらず、それが暗示する不吉な知らせを、なんにでもすぐ気づく繊細な彼女に発していた。5秒後に知ることになる確実な知らせを、5秒前に聞きたいだろうか?


 蘭堂岬は、仕事先で連絡があり、それを知った。もういつ卒業してもおかしくないのに。それが可笑しな話だから、なにが可笑しくないのか。そこできっと彼女は堂々巡りの意味を知ったに違いない。


 山口真紀も同じく、レギュラー番組の収録終わりにそれを聞かされた。何か大きなことが起こる前兆として、台風が立て続けに本州に上陸していたのだ。


 藤原結子は、新作ドラマの撮影現場でそれを知らされ、また何か性懲りもないことが起こったことを悟ったが、すでに芸能界という荒地に確固たるオアシスを築いた自分にとってはこの荒波などすぐに消え去るスコールのようなものだと、4次元的に考えていた。人間は常に自分の生きているゾーンのことに固執しがちである。ただ、忘れてはいけないのは、そのゾーンはあくまで人生という大枠に準ずるものであり、決して本望ではないのだということを。人生は自由であり、生は一瞬にして華やかであることを、決して、決して忘れてはいけないのである。





 吉見瑞穂は、ゴンドラの中で携帯電話の通話ボタンを押した。そして、マネージャーからその事実を聞かされ、驚くふりをして、そして電話を切った。彼女はちょうど、人気急上昇中の男性アイドルと密会中であり、しょうもないそんなことに時間を取られたくなかったのだった。「誰?マネージャー?」「うん。なんか、今度グループがまた、組織変更するんだって。よくわかんないでしょ!?」「まぁ、いろいろ大変なんじゃない?瑞穂ちゃんは大丈夫!俺がいるから。」ドラマでも言わないそんな臭い言葉が、そのときの瑞穂には心地よかった。もう少し。あともう少しでいいから、このままこの時がここに留まってくれればいいのに。彼女は本当にそう考え、自分の情緒不安定さを恨んだ。恨んで、恨んで、何回も恨んだのに、恨み尽くすまではたどり着けなかった。確固たる存在がこの感情だけだったからだ。


 鹿島りほは、家を出るまえに、マネージャーから着信が来ていることを知った。普段かかってこない時間の着信だったので、すぐにかけなおした。マネージャーの声は、忙しさにまみれた実に人間的な声だった。彼女は、今日履いていく靴の色が、洋服の色と合っているかを仕切りに気にしながら、そのどうしようもない音声を聞き流していた。なぜ人は洋服の色と靴の色の相性は気にするのに、地面の色と靴の色との相性は気にしないのだろう?今日の仕事はラジオのMCだった。なのに、身なりを気にしないといけないなんて、なんて不幸な。彼女は本当に、ときどきそう思うことがあるのである。おお、神よ。彼女でさえ、救われる価値があるのでしょうか?


 その日は、田中乙葉と、生田愛良が電気街のイベントに出席していた。声高な女性の司会者が、なにごとかをまくし立てているだけの平凡な催しだったが、途中でメインスクリーンにいつものサプライズ動画が流れ会場は沸き立った。誰々がソロライブをするとか、誰々が引退するとか、新人オーディションをするとか、大規模ライブをするとか。普通ならそういうレベルの内容がサプライズ発表されるのである。


 乙葉は、最初スクリーンに大きく現れた“上場”の文字を見て、何事かを察知することができなかった。中卒の彼女は、そもそも上場の意味を知らなかったし、その後ろの脚色が極めて派手だったから、一応の驚く表情を作ったのだが、如何せんピンと来なかった。上とついているのだから、悪いことではないらしい。何かの情報を得るために、連座していた愛良の方を見た。愛良の方は、上場の意味はわかったが全体として趣旨を飲み込めなかった。愛良だけでなく、その会場にいたすべての人間が、スクリーンに映し出された情報の希薄さに絶句した。おお!でもなく、ああ!でもなく。ただただ、ゴクリと生唾を飲む音が聞こえてくるのであった。

「おお、なんだか恐ろしく複雑ですなー。」

愛良がそう言ったとき、誰もがその言葉に同調した。そして、彼女達の運命にわけもなく同情した。わけもなかったのだが、今解釈するとすると、結局それは大人のカラクリの中で綿あめのように転がされて、ぶくぶく太っていくようなものだと、そういうことなのだろう。



 糸山啓太は、この壮大なプロジェクトの概要を聞かされたとき、自分は本当に芸能事務所で働いているのだろうかと疑った。その説明に出てきた言葉が、単語が、株だとか、上場だとか、とても普段聞きなれていないものだったからだ。ただ、幼い彼女たちとは違い、大学で、曲がりなりにも経済学をかじったものとして、いや彼の選考は英文学だったのだが、LL-GIRLSが株式会社化することの趣旨をはずすことはなかった。


 説明がやたらと煩雑になることを避けるために、いや定型句で言えば紙面にもはや一文字の余裕もないというべきか、そこは作者の最大限の権限を用いて、詳細な解説を大胆にも省略させていただくが、とにかく彼女達ひとりひとりの価値が、ファンや投資家の有価証券にゆだねられたことは読者も理解されたところと思う。つまり、彼女たちの給料は、彼らからの直接的な融資によって捻出されるのであり、それだけでなく活動に必要な諸経費、販管費、広告費などもそれが財源であり、彼女達は自分達の価値を上げることで活動の幅が広がり、一方で、ファンはその価値に一喜一憂するために有り金をはたき、投資家はその乱高下する架空経済に熱を上げるのである。



 “1024円”



 有利亜に配られた最初の明細書には、そうはっきりと書かれていた。17才の彼女にとっては、その額面はとてつもなく多いような気もしたし、これが自分の価値かと思うと、絶望するくらいに少ないようにも感じられたのだった。その日、LL-GIRLSの公式ホームページには、メンバーそれぞれの初期株価が発表された。平均株価は、ちょうど500円になっていた。


 藤原結子は、自分に提示された価格に納得が言っていなかった。5100円という価格は、もちろんトップの価格であり、2位の蘭堂岬と比べても1000円以上の差がついているので、申し分ない高評価と言ってよかったのだが、いざ自分の値段を提示されるとどうしてもその値段を過小評価してしまうのである。結局数字で表せないものは、すべて終わりなきものなのである。





 秋が終わり、涼しさがところどころを折檻するようになる頃、LL-GIRLSの全員が上場し、初取引が行われた。目黒の貸しビルのワンフロアを買い取って設置された専用取引所は、大勢の関係者、投資家、ファン、野次馬、どうしようもない暇人達、ニッポンを見るためにわざわざやってきた外国人で賑わっていた。その喧噪のなかに、中心に、山井と、夏井がいた。山井は、食い入るようにリアルタイムで更新される取引状況の画面を見ていた。夏井は、不敵な笑みを浮かべて、書類の束を丸めたものを肩にとんとん叩きつけていた。

「おお、もう1000万いったぞ。」

誰かが、藤原結子の時価総額を見てそう言った。まるで、実験室でなにかの成果が得られたみたいに、その声は上ずっていた。これが成功なのかどうなのか、その場の誰もわからなかったが、誰もが数字に興奮していた。

 そのとき、急上昇した銘柄があった。取引開始からすでに5時間が経過しており、会場は落ち着きを取り戻していたときだった。

「鈴原有利亜の株価がすごい上がってきてます。なぜでしょう?」

「あ、これ見てください。彼女、今年の高校サッカーの応援マネージャーに選ばれたんですよ。トップニュースに出てます。ちょうど高校生だし、タイミングよく大きな仕事入りましたね。」

関係者の声が、有利亜に向き始めた。


「鈴原有利亜・・・。」


山井真一は、その名前を無意識に口にだしていた。奥歯にぐっと圧力がかかるような心地よさを感じた。彼女の名前の語感が、真一の骨格の共振点を刺激したのだ。
「ほお、鈴原有利亜ねぇ。運でもなんでも、もってるに越したことはないですからね。結局、秀でているんですよ。しかも、このタイミングで。時代が彼女を選んだのかもしれない。」
夏井は、ぼそぼそと、彼にしては珍しく笑みひとつなくそう言ったのを、真一は不思議な感覚で聞いた。 「え?」
「見てくださいよ。ほら、もう時価総額が藤原結子に迫ろうとしている。我々が、予想もしていなかったところから這い上がってくるんですね。湧き出でてくるのかもしれない。神の子は。」
そして、いつものように笑ったのだ。真一も、その笑みを見て、安心した。やっと一歩を踏み出すことができたような気がした。夏井との関係、試行錯誤したこのプロジェクトだったが、有利亜の登場は、真一に一つの到達点を与えたのだった。  



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