第7話 「現実即興」
“もうひとつのヤクザ〜警察機構の闇〜”というタイトルのノンフィクションを手にとって、2〜3ページぱらぱらとめくって見たが、ルポライター的なものとしては、かなりマニアックだと感じすぐに書棚に戻した。本屋は、糸山啓太にとって知的好奇心を掻きたてるというよりかは、どちらかというと服屋に近い存在だった。しかし、それも学生時代の話だ。今の啓太には、本屋に立ち寄っている時間は、1秒たりともない。ないはずなのに、望郷を眺めるように、そのときは一瞬だけ、それは結局として1秒よりも長かったのだが、今置かれている状況から離れたかったのだ。
 10期のマネジメント、主に各業界への根回しだったり、仕事のオーディションの設定だったり、有利亜にいたっては、AA-GIRLS入りしてしまったものだから、ニューシングルのカップリング曲のPV撮影にまで同行しなければならなかった。ふと立ち止まって考えることが、まったく出来なくなった今、すべての行動は付け焼き刃で、その場しのぎなのだ。正直、こんな仕事自分じゃなくてもできるだろうと考えるときもあったが、それすらも深く考えることができないくらいに、啓太の脳は酸欠状態だった。これは誰しも経験することで、環境が変われば人はそこに慣れるまでに時間がかかる。今の啓太にとっては、慣れるためのきっかけが必要だった。
失われた平安の時を思い、今は只、やり過ごすしかできない自分がいた。生半可な理論ならない方がましだ。大学時代、もっと言えば全学生時代を通して学んだ、体系だった理論のすべてが今はまったく通用しない。使えない道具なら、それは道具ではない。では、なぜその道具は生み出されたのか?なぜ、4半世紀余りを、自分は人生の準備期間に充ててしまったのか?成功したいなら、そんな時間は放り投げて、フライングしてしまった方がよっぽどましだったに違いない。



この日も、主要キー局でのバラエティ番組“μちゃんねる”の収録に有利亜が参加するというので、他のマネージャーと一緒に現場に入った。その番組は、音楽番組とバラエティ番組を足して2で割ったような深夜枠に放送される番組で、大手芸能事務所に所属するお笑いコンビ“鮭茶漬け”が司会をしていた。
当初この番組には、LL-GIRLSの5人が出演するはずだった。しかし、今月に入って急に藤原結子の主演映画の製作が決定し、大幅にスケジュールを変更せざる負えなくなってしまっていた。そこで、この番組にも“代役”が必要になったわけで、通常ならファン投票6位の鹿島りほや、バラエティ向きの生田愛良に声がかかるところ、啓太は思い切って有利亜を強く推したのだった。啓太の上司である磯辺達也は、当初生田を出演させようと担当マネージャーに声をかけていた。
「何!?鈴原ぁ?そんなブッキングはファンが納得しないだろうがよ。LL-GIRLS4人と出演したら、違和感あるだろうが。」
「そこの理由づけはあります。実は、“宇宙少女”のチャートトップ100圏内継続がちょうど1年になるんです。記念として、鈴原にフィーチャーするのは違和感ないと思います。」
有利亜が参加した第24枚目シングル“宇宙少女”は異常なロングヒットを続けていた。出足こそ前作“怪物ロックオン”と同程度の売上だったものの、その後落ちることなく、トップ10にランクインし続けたのが17週間、そして第25枚目“ナトリウム8mg”が発売されて、便乗で再びトップ10圏内に上昇すると、ナトリウム8mgの売上が描く降下曲線よりも穏やかに、それはまるで有利亜が土俵際で寄り切られるのを片足のつま先だけで粘るようにしぶとくトップ100圏内に残り続けたのだった。そして、第26枚目シングル“瀞峡(どろきょう)欠落”、第27枚目シングル“日本カスタム”がチャートを賑わせる中、人知れず“宇宙少女”は偉業を成し遂げてしまった。
「そうか、それがあったな。まぁ、今までLL-GIRLSには大ヒットはあっても、ロングヒットはなかったからな。それなら、“日本カスタム”とメドレーで“宇宙少女”を歌わせてもらえるように局に交渉して来い。そうじゃないと鈴原の出演の意味がなくなってしまう。」

そう、この一言が啓太を苦悩に陥れるのだった。“μちゃんねる”のプロデューサー・臼井 武と啓太は、3度にわたる交渉の機会を持った。臼井の意見はこうだった。つまり、LL-GIRLS出演回には、大物ロックバンド“A:rcands comp.”のニューシングルの歌唱枠が大幅にとられていた。当初、“日本カスタム”一曲だけなら、Aメロ-Bメロ-サビで1分強の尺だったのが、“宇宙少女”とのメドレーとなると少なくとも3分は必要なのだ。臼井は言った。
「いや、糸山さん。業界人ならわかるでしょう?A:rcands comp.の事務所はREPさんよりも大手の“プロダクション西岡”じゃないですか。あちらさんは、この回でさらにA:rcands comp.のメドレーもやらせてくれって話もあったんですけど、さすがに尺の問題で断ったくらいなんですよ。だから、A:rcands comp.の枠はもうこれ以上削れないんです。メドレーやるんだったら、“日本カスタム”と“宇宙少女”のAメロ削ってやるなんてどうです?ちょっと中途半端になっちゃいますけど、たぶんそれが深夜の30分番組の限界なんですよねぇ。」
しかし、Aメロを削るという案は、達也から却下されていた。

「マネージャーだったらな、どうにかして枠奪ってこい。無理言ってるのは分かってる。じゃなきゃ、鈴原の出演はなしだ。こっちとしても次世代エース生田・鹿島のオファー優先してる状況もあるんだし。見えない近未来の鈴原まで、今フォローする余裕はないんだよ。」
達也がそう言ったのは、啓太の成長を願ってのことだった。そもそも、啓太に10期のマネジメントを任せたのも、10期のためではなく啓太のためという意味合いが強かった。それを啓太は分かっていない。マンパワー不足なら、なぜ自分を10期なんかのマネジメントに就かせるんだ?と半ば反逆の目で達也を見ていたくらいだった。

「なんでこんな無茶苦茶なことになるんだ!?ただでさえ交渉の余地がないのに。」

自分が引き起こした面倒事、発端となったのは自分だというのに、ここまで来るとその過去の自分さえ他人のように呪いたくなる。達也から、きつく言われた後啓太は更なる緊迫感に襲われていた。
「糸山さん、来週の水曜日の収録って、(仮)ってなってますけど、まだ決まってないんですか?」
有利亜がそう聞いたとき、啓太は「ああ、まぁね」としか答えられなかった。それは、事務所のレッスン場だった。壁一面が鏡面になっており、たとえ有利亜がそっぽを向いていても 壁に映った像から啓太の表情をうかがい知ることができた。グレーのスーツを着た啓太は、この一年ですっかりその風貌が変わってしまった。あのオーディションで、泣きながら土下座した青年は、もうすっかり業界人へと変貌しているように見えた。自分の仕事、自分の未来を直接切り拓いてくれる存在、有利亜にとって啓太はそんな未来への接続を直接感じさせる存在だった。


「でも、最後は自分で扉を開かなくちゃいけない。」


今ではすっかり河内弁が出なくなった。言葉が変われば自然とすべての瞬間においてアイドルでいられる。河内弁のアイドルなんて“ゲテモノ”に自分は成りたくなかった。有利亜の特質すべきは、こういう足元の処理を抜け目なくできることであって、決して元から完璧で生まれてきたわけではないということである。世界は自分で変えられる。でも、有利亜の望む世界は非常に平凡且つ、アイデアに欠乏したものなのだ。
「糸山さん、私に何かできることがあったら言ってくださいね。」
「ん?ああ。」
糸山は虚をつかれたにも関わらず、知らぬふりをして適当な返事をした。
「例えば、来週のその仮予定とか・・・。それで糸山さんが何か困ったことになってるんだったら、私のことなんで私でどうにかできないかやってみたいんです。」
「え!?来週の予定?ああ、いや、そんなんじゃなくって。ああ、ああ、そうだね。有利亜には何でも御見通しなんだね。そうだね、ちょっと困ったことになってるんだよ。それも俺の力ではどうしようもないくらいにね。」
ここまで啓太がゲロったのは、有利亜の目が単に真剣だったからだけではない。有利亜の目には、問題解決のための強い意志を感じさせるものであり、啓太も最後の最後にそれにすがってみたくなったのだった。それは、直観であって、意図されたものではなかった。
「やっぱり!そうだったんですね。教えてください。何もできなくても、今の自分が置かれている状況を知っておきたいんです。」
確かに、有利亜にはこの状況をどうすることもできないように思えた。そして、確かに今のこの有利亜の置かれた事務所での立ち位置、LL-GIRLSでの序列について知っておくのは決してネガティブなことではないと思った。
「実はね・・。」
啓太が一連の内情を話し終えたとき、有利亜にはやはり平凡な世界への憧れに満ちた欲望が先に立っていた。その平凡な世界は、誰もが望む世界で、誰もが届かない世界。自分の安住の世界なのである。それを手に入れるためだったら、多少の歪みをも恐れない度胸が有利亜にはあった。そして、結果としてそれは歪んだ世界への道であることに、彼女は一向に気づきはしないのである。
「私、そのプロダクション西岡に行ってみたいです。」
「ええ!?どういうこと!?行ってどうするっていうんだい!?他事務所っていうと、この業界じゃあ外国みたいなもんなんだよ!?」
足を出さない女は、結局自分に不利な条件で結婚をするしかない。つまり、リスクを冒さない人間に、それ相応の見返りはないのだ。有利亜は必ずリスクを冒す。すべての行動でリスクを冒すことによって、彼女の中でリスク相殺・分散している特殊人間。
「糸山さん、これは私にとって大事なことだと思うんです。番組に出演できるか、それとも出演できずに終わるか。全国放送の番組の影響力は、子供の私でも分かってるつもりです。私自身、LL-GIRLSはテレビで見てたんで。だから、絶対このチャンスを逃したくないんです。グループに入って最初の頃は、お披露目なんかで数回くらい全国放送には出させてもらったけど、それ以来まったくそんなチャンスなかったじゃないですか。このチャンス逃したら、次はもう来ないかもしれないんです。そういうことって平気であるんでしょ!?」
「ん、まぁ。グループでもそういう子はいっぱいいるね。」
「それでそういうタイプの子って、それでモチベーション下がって結局卒業するのがオチじゃないですか。私もそうなっちゃうんでしょ!?」
「有利亜はそんなんじゃないって。ファン投票でも14位になったんだし、次世代エースの生田・鹿島の次の時代だって言われてるんだよ!?」
「14位!もう2度と私の前で、その数字は言わないで。」
「え!?」
「14位なんて中途半端な順位なら、ランクインしないほうがマシなんです。私は1番が良かった。私の上に13人もいるなんて、想像するだけで嫌なんです。だって、そうじゃないですか。せっかくオーディションに合格してアイドルになれたのに、14番目にしか出れないなんて。私はそんな特別なことなんてできないし、1番最初に出てくるくらいじゃないとアイドルとして自信がもてなくなるんです。それに、次の時代なんて待ってられないんです。私は今のLL-GIRLSが好きで、私が目指してるのは“あの5人”の中に入ることなんです。あの5人がいなくなったLL-GIRLSの一番になったとしても、それは全然意味が違う。」
啓太は、直接有利亜の強い意志を聞いて、確信めいたものを感じた。この娘は絶対ものになる。それは啓太の願望ではなく、確定路線として考えなければならなかった。だから、自分は少しの失敗も許されないのだ。
「わかった。わかった。行ってみよう。ちょっと電話でアポとってみるよ。」
そういった啓太を有利亜はじっと見ている。
「え?まだ何かあるの?」
「言ったんやったら、すぐに行動に起こしてください。今すぐ電話してください。早く!」
「うわわっ!はいっ」
啓太は、スマホでプロダクション西岡のホームページを検索し、そこに載ってあった電話番号にかけた。しかし、担当者不在ということで一蹴された。
「時間がない。行きましょう。プロダクション西岡に直接言って、私話してみます。」
「はは、嘘だろう?いや、だって今担当者不在だって言ってたじゃないか。」
「そんなん変ですよ。いたずら電話やと思われてます。間違いない。業界関係者なら、担当者に直接電話するもんですよ。それを、糸山さんが電話番号知らんから。まぁ、でも一応電話したっていう口実はできたわけですよね?それなら今から直接行っても“いきなり来た”っていうことにはならないんじゃないですか?一応糸山さんの面目は立つんじゃないですか?」
その論理は分からなかったが、啓太はもう半ば物理的に手で押されるようにして、レッスン場からタクシーに乗せられた。これが本当に中1女子なのか。いや、中1女子だからこんな無茶苦茶なことができるのかもしれないと思ったけど、いや、これは有利亜だからできるんだとそう思わずには前向きに事態をとらえることが出来なかった。
「日本橋小伝馬町まで。」
REPの事務所がある新宿5丁目から、プロダクション西岡のある日本橋小伝馬町までは道が空いていたら車で15分程度で行ける。しかし、その日は道が多少混んでいたため、30分程度かかってしまった。その時間が啓太を冷静にさせた。
「有利亜、正直厳しいと思うんだ。だってそうだろ?こんなやり方、誰が納得するっていうんだい?こんなことで仕事がとれたら、誰だってトップスターになってるよ。タレントはタレントらしく、実力で仕事をとるべきだと思うんだ。これは、一種の教育として言ってるんだよ?わかる?」
我ながら、正論をここまで直接的に子供にぶつける自分が情けなかった。でも、そんなことは言ってられない。このままだと、本当に“事務所乗り込み”なんて事態になり兼ねない。状況によっては、週刊誌のいいネタだ。
「結局、びびっちゃったってことでしょ。わかりますよ。こんなことして、プロダクション西岡からREPが睨まれたら、磯辺さんに怒られるどころじゃ済みませんもんね。でも、大丈夫ですよ。絶対成功するから。」
このガキャあああ・・・。しかし、タクシーが目的地に着いたとき、案の定啓太の肝は縮み上がっていた。飛び込み営業を生業にする営業マンは、一体どんな度胸をしているんだろう?いや、そういう営業マンだって、いきなり商品を売り込んだりはしないはずだ。ましてや、人の仕事を奪う交渉をしに行くだなんて。あちらさんには、何の得もないことを。


「いや、だからさっき電話したライアンエンタープライズの糸山と申しまして、来週収録がある東京国際テレビの番組収録の件で伺ったんです。担当者不在と仰られたと思うんですが、いたずら電話だと思われたんじゃないかと思いまして、直接伺わせていただいた次第でして。ええ、いきなりお話をさせていただこうなんて思ってはないんですが、担当者の方にその要件だけでもお伝え願えないでしょうか?」
受付には電話が一つ置いてあって、それが総務課に繋がっているようだった。啓太の必死の説明が功を奏したのか、担当者と直接会えることになった。こんなことって本当に許されるのか?彼は冷や汗が乾いたところに、さらに冷や汗をかくという汗腺土砂降り状態に陥っていた。横で、有利亜は「やったね」とでも言いたげなウィンクをしていた。ここでアイドルの一面を見せるとは、骨の髄までそうなのかと、やはりアイドルを理解できるのは世界に誰一人として存在しないのではないかという、かねてからの自説を展開したくなった。

「で、話っていうのはなんでしょうか?」

担当として出てきたのはA:rcands comp.のマネジメント統括をしている宍沢隆二だった。通気性のいい素材で仕立てられた明るい緑黄色のジャケットに、白いボトムを履いたその姿は、いかにもやり手の業界人を思わせる風貌だった。これは雰囲気でやられる可能性があった。事務所の雰囲気も、多少REPよりも落ち着いた感じがするオフィスで、貸ビルの13階と14階で構成されていた。啓太と有利亜は会議室のような無機質に机といすが置かれている部屋に通された。壁にはどこの誰が描いたか分からない絵画が飾ってある。そこに描かれた藤の花が鮮やかに、その無機質な部屋を際立たせていた。下手に芸術なんて語るものじゃない。
「実はですね。」
「来週の収録で、“宇宙少女”と“日本カスタム”の2曲メドレーを歌わせてほしいんです!」
啓太よりも先に、有利亜が出張ってきた。これは本当にどうすればいいのか、自分はマネージャーではなく、ただのおぜん立てをしただけなのか? 「ほほお、元気なタレントさんですね。お名前はなんと仰るんですか?」
「LL-GIRLSの鈴原有利亜です。」
「で、鈴原さん、来週の収録でそのメドレーを歌うっていうのは、何も私どもの許可は必要ないんじゃないですか?テレビ局と直接交渉して下さった方がいいと思います。」
「それで乗り切る気ですか?」
そうだ。啓太は思った。そんな手じゃ、中1女子には説明になってないし、ましてやこの有利亜からは逃げられない。
「どういう意味でしょう?」
「A:rcands comp.さんの出演時間を減らしてほしいっていうことです。それ以外に方法がないんです。」
「方法がないって、鈴原さん。自分の言ってることの意味分かってるのかなぁ。困ったなぁ。」
隆二は多少イラついた態度を見せた。それでも、内心困りに困っているのだろう、チラっと啓太の方を見た。
「いや、無理を言ってるのは承知しています。A:rcands comp.さんのニューシングルの宣伝時間が削られるのは実質上の損失を出すのと同じだということも承知しています。ですが、それでも何か方策はないものかと、とりあえずお話だけでも聞いて頂きたくてですね。」
「うん、まぁ。今回は無理ですよ。はっきり言って。でも、次の機会にREPさんがお困りなら、うちとしても助けられるところはやらせて頂くこともできますし。この機会が無駄になることは決してないと思います。なにしろ、わざわざコネクションなく直接御出でくださったわけですからね。お互いWin-Winで進めたいじゃないですか?もしかしたら、これをきっかけにA:rcands comp.とLL-GIRLSのコラボっていうのもあるかもしれませんし。糸山さんの判断は間違ってはないと思うんです。うん、これはいい機会ですよね。」
「ありがとうございます。無理を言って申し訳ありませんでした。」
啓太は、その言葉に救われたような気がした。なんとか体裁が整った。


「うわわあああぁん!」


それは有利亜だった。どこからそんなエネルギーを振り絞ることができたのか?彼女は目から一杯の涙を流して泣いていた。それは悲しくてなくんじゃなくて、あからさまに駄々をこねる子供の泣き方だった。こんなストレートが許されるのは小学校低学年が限界ではなかろうか?
「ええ!?どうしたんですか?鈴原さん!?」
「ああああ、すみません。有利亜大丈夫か?泣いたって仕方ないんだよ!?」
「わああああぁ!わぁあああ」
一向に泣き止もうとしない有利亜のボルテージは一層高まるばかりだった。そして、その泣き声は会議室の外にも必ず届いているはずだった。
「これはまずいな・・。」
隆二は焦った。こんな他事務所のタレントを泣かしたとあっては、自分のキャリアに傷がつく。それにしてもこんな無茶苦茶な。
「分かりました。分かりました。何とかします。私が責任をもってなんとかしましょう。兎に角泣き止んでください。ね?」
有利亜はすぐに泣き止んだ。
「本当ですか!?どうにかできるんですか!?」
「言ったでしょう!?私が責任をもつって、やってやれないことはない。どうせ深夜の30分枠なんてうちの事務所でも対して重きを置いてなかったんだし、プロモーションを頼んでいた帝信さんが主導して決めたブッキングなんで、こっちとしても意見を主張する余地はあるんです。」
「あ、ありがとうございます!」
最後は二人一緒に平身低頭、感謝した。


 翌日、隆二の手回しはさっそく事態を好転させてくれた。彼の電話での説明では、A:rcands comp.とLL-GIRLSのスペシャルコラボという形で、演奏時間を混ぜることで、両社の露出時間を確保することができるというものだった。
「コラボ!?A:rcands comp.とコラボするのか!?深夜の30分枠で!?国民的ロックバンドと、ナンバーワンアイドルが!?」
磯辺達也は、本当に驚いていた。自分の課した難題を、啓太が120点満点の回答で返してきたからだ。しかし、少々勿体ない気持ちもした。この両グループの共演ならゴールデン枠でも十分に数字が取れる。
「で、A:rcands comp.は何を歌っているときに、うちらは何をするんだ!?まさか、一緒に歌うわけじゃないだろう?」
「ええ、バックダンサーとして踊ることになりました。新曲の“A:nniversary”を歌うそうです。その後、逆にA:rcands comp.の生演奏で“宇宙少女”、“日本カスタム”の順でうちが歌うことになっています。」
「すげーな。これはスポーツ紙の芸能蘭に載るな。本当になんなんだあの娘は。」
「鈴原有利亜は、次世代でも、近未来でもなく、今輝くべきアイドルなんです。と僕は思います。」


 前々日に、A;rcands comp.のメンバーとのリハーサルがあった。テレビ局のレッスン場で有利亜は振りを確認していた。そこに、啓太は入っていった。
「有利亜、まだ3時間前じゃないか。」
有利亜にはそれが聞こえなかった。しかも、彼女の踊っていたのは、日本カスタムの振りだった。自分とは関係のなかったはずの新曲の振りを完璧に踊っていた。この1年余りで、彼女のダンスはかなり改善されていた。誰にも見せずにきっと彼女は、他のダンス経験者のメンバーとの差を縮めてきたのだ。

「おはようございまーす。」
次に現場入りしたのは、吉見瑞穂だった。制服姿の彼女は、今日のリハーサルのために学校は早退してきていた。いつも、そうやって学業と仕事の両立を、学業をギリギリまで削りながら成り立たせていた。それは、自分にとって大切なモラトリアムの時間を奪っていることになるとは気づかないで。
「おう、あっちゃん。おはよう。やってるねぇ。」
彼女を皮切りに続々と、LL-GIRLSのトップ4人が現場入りした。山口真紀や、蘭堂岬は顔を隠すような大きなマスクをしていた。最近、一般の人々にもマスクをする人が増えた。自分の顔を隠すことで表情を悟られない等の恩恵を受けることができるからだ。感情を隠すことが美とされるのは、単純にそれが人との衝突を生まないからに過ぎない。

 リハーサル開始30分前にLL-GIRLSがリハーサルスタジオに呼ばれた。そこにはドラムや大型アンプ・スピーカなどの機材が設置されており、普段何もないステージで踊ることが多いLL-GIRLSにとっては異様な場所であった。
「A;rcands comp.さん入られまーす。」
暫くして、A:rcands compの4人がスタジオに現れた。
「よろしくお願いします。」
一様に礼儀正しく、彼らはスタッフやLL-GIRLSのメンバーに挨拶した。そして、ギターのSHINJIがおもむろにC-Am-F-Gのコードを確認すると、ドラムのPONCHが激しくリズムを刻み始めた。新曲“A:nniversary”だった。なんの前置きもなく始められたそれは、非常にラフなものだった。事前に渡されていたデモCDの演奏とは違う、リズムも変調していたし、ギターとベースのバッキングも遊び過ぎていた。LL-GIRLSのメンバーは、事前に教えてもらった振付を踊っていた。でも、4人の絶妙なリズムのズレに中々馴染むことができずに、四苦八苦した。
「あ、ちょっと合わないなぁ。合ってなかったですよね。」
ボーカルのHARUICHIがスタッフに言って、演奏は止まった。どうも、LL-GIRLSの振りが曲に合ってないことが気に食わないらしい。
「すみません、LL-GIRLSの皆さん。もっと無調子に自由に踊ってもらえますか?」
「どういうことですか?」
山口真紀が聞いた。さっぱり意味が分かってないらしい。
「つまり、こうR&Bっぽく乗ってる感じでお願いしたいんです。このA:nniversaryって曲はクラブをイメージした曲で、そういう振りの方がイメージに合ってると思うんですよ。」
「でも、そんなラフな振り、私たちじゃあできません。」
真紀は強情に言った。誰かが言わなければ、A;rcands comp.の雰囲気に流されてしまいそうだったからだ。
「じゃあ、振付師の人と話をしましょう。」
HARUICHIは、LL-GIRLSの振付を担当している市井里奈と話をした。
「分かりました。彼女たちにそう言います。」
里奈は、メンバーに即興で振りを指示した。HARUICHIはそれを見ながら、何か感じるところがあれば適宜意見を述べたりしていた。有利亜の振り指導の番が回ってきたとき、HARUICHIがポツリと言った。
「彼女には、一緒に歌ってほしいな。うん、そうだ。その方がLL-GIRLSと対等な感じが出てて面白いですよ。」
「ちょっと、すみません歌うって話は聞いてませんけど。」
啓太が言った。
「私は歌いたいです。」
一瞬現場の空気が止まったとき、PONCHがドラムを叩いた。SHINJIと、ベースのQUROHがバッキングを始めた。
「これで歌いな。」
HARUICHIはマイクを有利亜に渡した。


A:nniversary

赤い色の乗り物に箱のような奇妙な感覚を覚えたけれど
彼女はいつも僕の体調を気遣いながら仕事に行くんだ
それがたちまち嫌になって、逃げだしたくなっても
迷路のように帰ってきてしまう

綺麗な体だねって言っても喜ばないくせに、君は
ぐちゃぐちゃにされるとその密室で笑うじゃないか
それがたちまち嫌になって、逃げだしたくなっても
迷路のように帰ってきてしまう

汚い猫に明日を聞いても、昨日のことしか話さないけど
知らない世界を彼らは僕たちよりも知っていて
それがたちまち嫌になって、逃げだしたくなっても
迷路のように帰ってきてしまう

本当にこれが僕なんだろうか、踊り狂う僕が本当に
本当にこれが君なんですか?苦役に耐える明日しかない
本当にこれで満足ですって、大好きな言葉の中から、そう
アニバーサリー、アニバーサリー、すべてが太って動けなくなる



曲が終わったとき、HARUICHIは有利亜の方を見て、訝し気な顔をした。
「ああ、やっぱりしっくり来た。なんでだろう?君を一瞬見たときから、歌えるって思ったんだ。」
有利亜の声色は、ロックの重低音に合っていた。おそらくそれだけではないかもしれないが、その場にいた皆がその曲の仕上がりに納得した。
 その後、“宇宙少女”と“日本カスタム”のリハーサルが順調に進んだ。HARUICHIは最後に、有利亜に名前を聞いた。
「鈴原有利亜ちゃんか。覚えておくよ。日本のエンターテイメント界はまだまだ面白いってことがよくわかった。本番もよろしくね。」
A:rcands comp.のメンバーは、「有難うございました」と礼儀正しく挨拶して、皆スタジオを出ていった。
「あ、一緒に写メとってもらうの忘れた。ブログに載せようと思ってたのに。」
蘭堂岬が、拍子抜けにそう叫んだ。それで場の空気が一気に和んだ。
「すごいね。あっちゃん、HARUICHさんに認められたんじゃない?」
瑞穂は、帰り際に有利亜に声をかけた。にっこり笑うことしか出来なかったけど、このとき初めて有利亜は自分の才能のなんたるかを思い知ったのである。自分がLL-GIRLSの4人とは違う方向性を持っていることを。
 このリハーサルはLL-GIRLSにもう一つ大きな岐路を与えることになった。それは、A;rcands comp.のアーティストとしてのこだわりを直接見ることで、自分たちももっと自分達で“こだわり”をもつべきなんじゃないかと、少なくともこのリハーサルに参加した5人は思ったのである。そして、それはまさしく本郷上一郎が最終目標に掲げるものだった。アイドルは、未完成が売りなんじゃない成長が売りなんだと。


4月の下旬に放送されたその“μちゃんねる”は、深夜枠にも関わらず高視聴率をたたき出した。そして、達也の予想した通り、翌日のスポーツ紙の芸能欄にはそのことが書かれていた。そして、そこにはA:rcands comp.が予定していたアジアツアーを急遽中止したことが発表されていた。HARUICHIのコメントには、新しいアルバムへの創作意欲が急に湧いてきたとあった。


啓太は一連の事件が終わった後に、児島聡子と板橋で上手い酒を飲んだ。
「お疲れ様、またまたあの娘には驚かされたね」
「いやぁ、びっくりしましたけど、改めて有利亜の潜在能力の高さに確信を持てました。俺はこの娘をスターにしなくちゃいけないんだって。」
「へぇー、糸山君にそう思われるなんて、羨ましい。そういえば、そのことについて本郷さんはなんか言ってた?」
「ああ、そう言えば急遽有利亜が歌うことが決まったときに、その報告をしたんですが、笑っていましたよ。やっぱり、本郷さんも他人に有利亜が認められて嬉しかったんじゃないですかね。そもそも、直接的に有利亜を合格させたのは本郷さんですし。」
啓太は、そう言いながら串に刺さった鶏の肝を歯で抜いて口に入れた。鶏の肝は旨い。これは本当なんだ。今の啓太にとっては、それが唯一の真実であるように思われた。
 



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