第9話 「説明主義」
甘い蜜が香る花々が咲き乱れる花園には、無数の蜜蜂が巣くっている。仮にその花園を消してみると、どうなるか。そこには無数の蜜蜂だけが残る。それは何かの存在を訴えてはいるものの、その何かが空間に存在しないだけ意味のないものへと近づく。翻って見れば、これは元の花園と蜜蜂との関係において、それほどそれが必然的でないことを明らかにする有用な机上の実験だったことに気づかされる。つまり、蜜蜂は花があるからそこに群がっているわけではないという、極めて稀な確率を引き合いに出すこともできなくはないのだということだ。この稀な確率的事象は通常の理にかなっていないわけであるが、それでもこの確率分布の議論において、この稀な確率が尾を引いている分、最も起こりやすい花園と蜜蜂の関係、つまりそれは通常の理に左右される必然的世界も、わずかだが理を欠いていることに気づかねばなるまい。何が言いたいのかを、簡潔に言おう。花に群がる蜜蜂の描像は、花の意志でも、蜜蜂の意志でもなく、何者かの取捨選択の均衡の上に成立する偶然の賜物なのだという事実である。



長谷川キラが主役のドラマ「嵐と秋とキラ」が会員制インターネット動画サイト“LoKuZo”で公開されることになった。週一回1時間のドラマが更新される。インターネット動画の強みは、視聴者が好きな時間に好きな話を視聴することができる点だ。一方で、非常に限られた視聴者層によって、この手のサイトは支えられているため民放キー局とは比べものにならないくらいアンダーグラウンドな活動になってしまうのが難点だった。
 本編では端役だった有利亜を初め、ドラマに出ていなかった10期のメンバーが起用されてることも特徴だった。三井さくらがキラの親友役で、権田理沙が第3話の敵役で起用されることになっていたのだ。さくらと、理沙は初のドラマ出演とあって意気込んでいた。
「みなさんにうれしいお知らせがあります。理沙は、10月から配信されるドラマ“嵐と秋とキラ”に出演することが決まりましたw」
利沙がそうやってブログに載せると、さくらももうカミングアウトせざる負えなくなって、それでやっとブログにドラマ出演の報告をしたのだった。自分の演技に不安があったさくらは、ドラマ出演を大々的に公表するのが恐ろしかった。


「有利亜は、LL-GIRLSの中でも特別。ましてや10期の中でも特別なんだよ。」
パフェの頭頂部にある乳白色のバニラとモスグリーンの抹茶のアイスにスプーンを入れながら、絵里が言った。今日有利亜は、彼女とデートしていた。お別れの会でも有利亜は絵里と十分に話せなかったからだ。
「最初はそうかもしれないけど、最近はそうでもないよ。仕事って言ったら定期公演とか、LL-GIRLSでやってるバラエティーだったり。LL-GIRLSって言ったらやっぱり、あの5人だし、私なんかまだまだ知られてないんだ。それを最近実感した。私ってまだまだなんだって。」
「ううん。そんなことない。私からしたら、有利亜はアイドルそのものだし。LL-GIRLSに欠かせない存在だよ。私ね。LL-GIRLSに入る前は、自分のことちょっとはイケると思ってたんだよ?クラスの男子からは告白されるし、街を歩いてたら知らないお兄さんにナンパされちゃうし。でも、そんな私でもLL-GIRLSに入って信じられないくらい自分ってものが分からなくなった。」
「分からなくなった?」
「そう。だって、それまでの私って自分のことを美少女としか認識してなかったの。笑わないでね。本気なんだから。でも、LL-GIRLSに入って、美少女は自分だけじゃないんだってことが分かった。嫌、むしろ自分は美少女じゃないんじゃないかってさえ思えてきた。そしたら、今まで築いてきた“自分”っていう存在が一気に崩れたの。自分っていう存在が分からなくなった。あっちゃん。私ってどんな人だと思う?」
「絵里ちゃんは、正直で、真面目で、もちろんかわいいし、あ、そうだ。お料理が上手!」
「ありがとう。でも、そういうことで自分を自分だと思えるほど私自身に余裕がなくて、慌てて失くした自分を探してた。昔書いてた日記を読んでみたり、友達に自分の短所とか長所とかを聞いてみたり。何か新しい趣味を見つけようと思ったこともあった。でも、結局、それは自分にはつながらなかった。このままじゃ、一生自分を見つけられないまま終わっちゃうって思った。すごい危機感があったの。自分の人生なのに。自分が主役の物語のはずなのに、肝心の主人公が透明人間なんだもの。」
「透明人間・・・。」
「だから、私は卒業することを決めた。美少女のラベルを貼った同じ女の子たちの中にいたら自分は、自分じゃなくなるって思ったから・・・。あっちゃん。」
「ん?」
「あっちゃんは、LL-GIRLSにいても自分が誰か迷ったことないでしょ?」
確かにそうだった。絵里の言うとおり、有利亜には迷う余地のない我が自分の中に棲みついていた。それは、生まれた時から確信的に存在する根拠のない自己であり、世界がどう転ぼうとも決して揺るがない絶対的存在だった。
「そ、そんなことないよ。私だって悩んだり、泣いたりいっぱいするし。人の見てないところで結構やるタイプなんだよ。」
「それを自分でいうかねー。あっちゃんって面白い。」



 冬が過ぎ、有利亜は中学3年になっていた。グループ内での人気や地位は、やや固定的なものになり、ファンの間では鈴原有利亜というキャラが確立されつつあった。女性への階段を上がる有利亜の顔は日に日に変わり、目の色は玉虫色の強い光を放つ一方で、嘘と欺瞞をも白い肌に染め込んだ美しさを放っていた。
 仕事でひさしぶりの大阪に帰郷する機会があった。駅で東京土産を買い、新幹線に乗った。今回の仕事で一緒だったのは田中乙葉と、生田愛良だった。二人とも大阪へは何度か言っているらしかったが、今回の仕事ではかなり自由行動する時間があり、道中は大阪観光の話で盛り上がっていた。愛良は観光雑誌をパラパラめくり、仕事どころではなさそうであった。その一瞬一瞬の人生を楽しむものと、未来の人生に希望を見据え今を愚鈍に生きるものの違いは大きい。そして後者は結局その未来になったとしても未来の一瞬を楽しむことはできないのだ。
「あ、これ美味しそう。ね、乙葉ちゃん、これ食べにいこうよ。安いよ。でも、一人じゃ食べきれないかもっ。」
「何?あ、ほんとだ。美味しそう。これどこで食べれるの?」
「んー。心斎橋だって。ねぇ、あっちゃん。この心斎橋ってどうやったら行ける?私たちの泊まるホテルから近いかな?」
「あ、心斎橋ですか近いです。電車乗継ぎなしで行けますよ。」
「へーそうなんだ。って、今あっちゃん、訛らなかった?」
「え?」
有利亜は知らない間に、大阪弁のイントネーションを話していた。抑えていたはずの訛りが、大阪に近づくにつれて堰を切ったように縷々と漏れ出でる。人間の本性は隠せない。その人がどこで生まれ、どこで育ったかという履歴は、人格を語る上でも決して欠かすことのできない要素だ。それを有利亜は今まで必死にひた隠しにしてきた。今の自分と同じように、大阪っ子の自分も激情型の留まることの知らない憑依霊なのである。
 移動した一日目は、打ち合わせで終了した。乙葉と愛良はホテルに直行し、有利亜は実家に帰った。駅前がこの2年余りで多少の変化を見せたかと思ったのに、有利亜の実家近くは相も変わらず同じ風景がそれぞれの生活を紡いでいるようであった。
「ただいまー。」
「お帰りー。」
里美が嬉しそうに笑顔で出迎えた。久しぶりの有利亜の顔を見て、安心したようだった。我子はもう一人の自分。それが遠く離れた東京へ出て、もう自分の意志の叶わないところへ流されてしまったのだから、多少の心配も無理はない。
「おお、有利亜。ひさしぶりやなぁ。」
亮太だった。髪は金色と茶色が混じったような色だったが、有利亜の知ってる不良の亮太ではなかった。身長も有利亜よりもずいぶん大きくなり、少し痩せたのか、それとも脂肪の代わりに筋と骨の太さが増したのか、成人男性のような引き締まった顔つきをしていた。
「うわっ。めずらしい。亮太が家にいるなんて。」
「そんなもん珍しくないわ。」
「そうよ。最近は、もうずっと仕事終わったらどこかでご飯食べて帰ってきてすぐ風呂入ってバタンキュー。毎日家に帰ってくれるのは親としてはありがたいけど、帰ってくるのは遅い時間やし、朝も割と早いんよ。まだ働き始めたばっかりやのに、体がもつか心配やわ。」
「がんばってんねんや」
「まぁな」
亮太は恥ずかしそうに鼻頭を擦った。里美の父で亮太の祖父である国吉は左官職人である。職種は違えど同じ職人として、亮太にもその血が流れているのだと里美は最近血の繋がりの律儀さに微笑ましく戦々恐々していた。
「久しぶりの一家全員そろったんやから、美味しいもん作ろうと思ったけど、お母さんやっぱり料理へたくそやわ。いつものカレーと肉じゃがしか作れへんかった。夕食まだやろ?」
「俺は食べてきたからなー。」
「私はまだ何も食べてないから食べる。腹ぺこぺこや。」
「お、アイドルでも飯食べんのか?太るぞ。ファン減るぞ。」
「余計なお世話や。太ったら太った人好きなファンが増えるだけや。」
とはいいつつ、東京では相当節制した生活を送っていた。そんな切迫した苦労など亮太や里美に知らせたくなかったのだ。人生は何のためにあるのか。有利亜の人生は何のためにあるのか、何のためにアイドルになり東京へ引っ越したのか。それが今だけは彼女にはわからなかった。3人だけの家族でこうやって楽しい時間を紡ぐこと、それはそれだけで何物にも代えがたいことを今知ったからだ。少女は大人になりつつある。その中で自分の追い求めていた理想像は、自分個人の人間像だけではなく、家族や周りの人々を含めたコミュニティ全体の理想像へと変革を遂げつつあった。


 翌朝、有利亜が早々に仕事に行く支度をしていると、亮太が寝床から起きてきて半開きの目を擦って、食卓にあったパンをそのまま口にくわえて玄関へ直行した。
「男って、簡単でいいなぁ。」
「何言ってんねん。それやったら、お前も化粧とかいろんなもんもたんと出ていったらいいやんけ。俺は楽でいいぞ。ちょっとは尊敬したか?」
「するか!」
「今日もまだ大阪におるんやろ?はよ帰ってきいや。今日は3人で飯食べようや。」
「うん。」
その後ろ姿が、父親のそれを彷彿とさせた。これが兄か。


 大阪での仕事とは、最近大阪にできた体験型テーマパークの公報イベントに参加することだった。今日と明日の2日に分けてそれぞれ、LL-GIRLSの歌とダンス、トークでイベントを展開していく予定だった。
「鈴原有利亜ちゃんは、大阪出身ということですが、どうですか?大阪に久しぶりに帰ってこられて、何か変わったことはありましたか?」
トークセッションのところで、女性司会者が質問を投げかけた。淡い紅色のAラインスカートに薄緑のニットカーディガンを合わせている。映える舞台の上でも自分を主張しようという気らしい。艶っぽい顔が大人の女性、知的で魅惑的な女性を演出していた。そういうことはよくあることだ。
「そうですね。駅前なんかは知らないビルが建っていたりして、ちょっと私の知ってる大阪の街とは変わったなぁって思ったんですけど。まだ東京に引っ越して2年くらいなので、そこまで大きく変わったところはありませんでした。そういうことってよくありませんか?自分は浦島太郎状態だと思っていたところへ、実際に帰ってみると案外何も変わっていなかったっていう、そういう違和感はあるかもしれないです。」
「なんてすばらしいコメント。中学3年生とは思えないっ」
すかさず愛良が突っ込みを入れた。観客の人は、有利亜が中学3年生だと知って、わっとなった。大人びたコメントと、立派な身の丈から中学3年生を連想させる要素はこれっぽっちもない。
「愛良も負けちゃだめじゃんか。ほらなんかコメントしてよっ」
乙葉が愛良に追い打ちをかける。舞台慣れしている乙葉と愛良は女性司会者を置き去りにして自分達で話を展開する創造性をもっていた。それが見ている人を置き去りにしない限り、話を盛り上げる点で好評化を受けるだろう。しかし、それが観客を無いものにして自分達の内輪ネタに走ってしまったら―――――。駆け出しのアイドルによくある力みみたいなものが乙葉と愛良にはなくて、ちょうどいい具合に機転を利かせることができる。LL-GIRLSの場数の多さ、そして内部競争で洗練された自信。それが彼女たちの何よりの宝物、芸能界で生きていく武器になっていた。
「はい、トークセッションは以上になるんですが、ここで何やらLL-GIRSから発表があるみたいですよ。なんでしょう?気になりますね。」
「え?発表。何も聞いてないですよ。愛良聞いてる?」
乙葉は目を丸くしている。愛良も有利亜も何も聞かされていない。よくあるサプライズ。ステージ正面にある画面には映像が映し出される。LL-GIRLS新(神)プロジェクト始動。そうして、次々にメンバーのプロフィール写真が映し出される。その中には有利亜の写真もあった。
「えー。すみません。私の方に何やら台本が渡されましたので、お読みしますね。」
女性司会者は、それを開くと大げさに読みだした。
「LL-GIRLS発・新ユニット“黄土色の香とエッフェル塔”が来月7日にお披露目されるようです。メンバーは今から発表します。はい、音声さんお願いします。」
緊迫した音楽が流れた。乙葉たちは、依然として驚いた反応を続けている。
「本条みゆき、佐野あずさ、鈴原有利亜、権田理沙、田所新菜。以上です。」
有利亜は驚いた反応をした。LL-GIRLSの派生ユニットはこれまでにもいくつかあり、それほど大きな発表ではなかったから、本心としてはそれほど驚きはなかったのだが。しかし、嬉しかった、ユニットに選ばれるとメディア露出が増える。ファン拡大の切欠にもなる。だから、例えそのユニット事態が失敗しても、知名度を上げることの利点は少なくともあるのだ。佐野あずさは9期生で、田所新菜は11期生だった。実質的な次世代ユニットとして、REPは売り出すつもりだったのだ。そうやってこの新ユニットからお試し感覚で彼女たちのことを知り、最終的にはLL-GIRLS本体のコアなファンになってもらうことがユニットの一番の目的だった。
 仕事が終わり、家に帰った有利亜はこのユニットのことを2人に話した。
「ユニットかぁ。それやったらまたCD出るってことやんな!?結構お金貰えるんやろ。」
亮太は興味深々で聞いていた。
「給料制やからお金は当てにならん。それよりこのユニットで知名度挙げて、もっと人気でるようになったら嬉しいわ。」
「なんや、律儀な給料制かいな。どこの世界も変わらんなぁ。」
有利亜の給料は、その仕事の過酷さと比べると無残なくらい安かった。青春の一時を代替にして、わずかばかりのお金を手に入れるだけのアイドル稼業の虚しさは、単にその華やかさとは裏腹の短命さだけではない。
「LL-GIRLSの5人になれば、ソロで仕事させてもらえるから給料は増えるよ。CMが来たらかなり貰えるらしい。そこまで上がらなお金は期待できへんねん。私そこまで絶対上りつめるって決めてん。」
「そんなお金の話やめなさい。お金のためにアイドル認めたわけじゃないんよ。お母さんは、有利亜がアイドルっていう夢に向かって一生懸命に頑張ることが人生のいい経験になると思って東京に送り出してるんよ。いくら家が貧乏やからって、有利亜に稼いでもらうくらい困ってないんやからね。」
「うん、わかってる。アイドルやってるのは夢のため。それはずっと変わらへんから。」


 有利亜はその翌朝新大阪の駅から始発の新幹線で東京へ帰った。その日から早速“黄土色の香とエッフェル塔”の顔合わせとレッスンが始まるからだった。眠気がまだ十分にあった有利亜はリクライニングを少し倒し、目を瞑った。大阪に帰るときよりも鞄が膨らんでいるのは里美が、新品の衣類等を買い与えてくれたからだった。
「やっぱりそうだった。」
隣に座った男性が、有利亜にそう言った。有利亜は目を開け、その姿を確認した。
「久しぶりだね。半年ぶりくらいかな。いやもっとか。」
それは楽しそうに話すHARUICHIの横顔だった。
「あ、え?どうして・・・。」
驚きと、眠気の余韻で有利亜は軽いパニックになり、上手く話せなかった。
「名古屋でライブがあってさ。それで東京に帰るところ。有利亜ちゃんは大阪からの帰りだよね?昨日、新ユニットが発表されたってネットニュースで見たよ。やったね、またテレビに出られるんじゃない?」
「あ、ありがとうございます。」
HARUICHIはそのとき初めて有利亜の顔を見た。眠気に沈む血色のない顔に、半年前にはなかった女性的な優しさが伺えた。
「そういう表情をするときもあるんだね。」
「え」
「ずっと、一途な流れ星なのかなって思ってた。でも、今の君は朝焼けの太陽に隠された月のようだね。」
「え?どういうことですか?」
「つまり、ぜんぜん映えないねってこと。」
そういうと彼は、有利亜の頬に左手をやって、親指であくびで出た涙の跡を拭いてやった。
「涙はなんであれ、君に似合わないなぁ。」
その親指をそのまま舐めると、舌のピアスがチラついた。有利亜はその初めて見る口の中のステンレス球に違和感を覚えなかった。
「あ、俺の席ここじゃないんだった。ほい、これ。」
HARUICHIが手渡したのは、チケットだった。次の日曜に行われる東京でのライブ。
「これしか取れなかったんだ。最前列じゃないけど許してくれる?絶対見に来てよ。」
そう言うとHARUICHIは席を離れた。わずか3分程度の出来事だったのに、有利亜にはスローモーションで見たようにHARUICHIの一挙手一投足を思い返すことができた。



黄土色の香とエッフェル塔

白いリボンと、白い風船のコラボレーション、いいかも
まばたきしたら、ドラマのキスシーン見逃して、損した
振らされたボール球が、フライになって、彼女のところまで飛んでいく

チョコレートの巻紙に、好きな人の名前書いて、見つめた
自信なさそうな純真さに、キュンキュン一目ぼれ、浮かれる
悪魔だってなんだって、恋の光は一直線に、彼女のところまで飛んでいく

でも、ちょっとは明日の宿題が心配なんだよ
期末テストでいい点だってとりたいんだよ
オープンカーで迎えにきてよ、摘んだ花束が持ちきれないから

黄土色の香 風にのって エッフェル塔をまわって有頂天
セーヌ河ひとり ワルツで駆けて 石畳で転ぶの怖くないわ



新ユニットのデビューシングルはユニット名そのままの“黄土色の香とエッフェル塔”だった。CD発売に先行して、ネットダウンロードで購入できる展開で、発売前から曲の人気を出そうという新しい試みがあった。ダンスはそれほど難しくなく、曲のテンポも遅めなので、レッスンもそれほど苦にならなかった。でも、ダンスが得意な理沙は、多少の物足りなさを感じていたのか、自分なりにアレンジを加えてもいいか振付の先生に相談していた。そうしたら先生も乗り気になって、結局曲中に、理沙だけのソロダンスパートが加えられることになった。それで満足したのか、理沙はめずらしく有利亜をご飯に誘った。
「あっちゃん、ご飯食べに行こうよ。親睦会っ」
駅前にあるファミリーレストランでご飯を食べることにした。理沙は終始ご機嫌で、パフェを御馳走してくれた。
「私ね、このユニットの話を最初に知ったときは、すごく驚いたの。だって、それまで 10期だったらみゆきか、あっちゃんが凄い人気があって、私を含めそれ以外のメンバーってほとんど出番なし状態だったじゃん。絵里が辞めたとき、正直私も辞めたかったんだよ。それが、今回のユニットに選ばれて、こうやってあっちゃんやみゆきと一緒にステージに上がれるって思うと・・。やっと自分もアイドルとして一歩踏み出せたのかなって思えるの。」
「理沙ちゃんは、ずっとアイドルだよ。」
「違うの、職業としてのアイドル。自己満足じゃなく、皆に必要とされるアイドルになれた気がするの。今までは、自分がすごくすごくアイドルになりたくて、その思いを叶えるために頑張ってきたの。で、実際になってみたらファンの人達は暖かく応援してくれるんだけど、横にはみゆきやあっちゃんがいて、それと比べるとやっぱり温度が違うって思ってた。理沙に会うためにCDやチケットを買ってくれて、理沙の笑顔で幸せな気持ちになってくれる人達が実は理沙には一番必要だったの。それに今までは全く気付かなかった。」
理沙はそういうと、時計を見た。
「あ、授業が始まっちゃう。私行くね?」
理沙は、大学に通いながらアイドルを続けている数少ないメンバーだった。まだ人気がなかったから学業とアイドル業の掛け持ちができるのかもしれなかった。だが、これからはユニット活動が増えていく、休まなければいけない授業も増えていく。グループの中には留年を繰り返して退学してしまうメンバーもいる。


 その日曜は前日からのPV撮影の続きだった。スタジオ内には大小様々な風船があって、メンバーがそれで自然に遊ぶ風景を撮ったりした。PV撮影に引き続き、ジャケット撮影と雑誌の特集での写真撮影が行われた。有利亜が壁にかかっている時計を見ると夕方の6時を回っていた。コンサートは6時から始まっている。
「糸山さん。」
「ん?どうした鈴原。」
「私、この後大事な用事があるんで、早めに上がらせてもらえませんか?」
糸山は怪訝な顔をした。仕事以外の一面を見せない有利亜が、仕事よりも大事な用事があるとは思えなかったからだ。
「なんだ?用事って?この後、まだ全体での写真撮影だって知ってるよな?まぁ、撮影時間が押したのは謝るけど、そんなのいつものことだろ?」
「そうですよね。すみません、なんでもないんです。ちょっと気になっただけっていうか。ぜんぜん別のこと考えてました。はは。」
有利亜はにっこり笑うと、糸山から離れた。
「珍しいな。鈴原がちぐはぐなことを言うなんて。」
「どうしたの?糸山君」
糸山に声をかけたのは児島聡子だった。
「いや、鈴原が急に帰りたいって言うんで、理由を聞いたら、取り乱したように何でもないって言って・・・。変ですよね?あの鈴原が適当なこと言うとは思えないし。」
「変って言えば変ね。2時間ドラマのオープニングみたいな不穏な臭いってやつかしら。でも、別に変じゃないといえばそうよ。」
「え?」
「だって、彼女、ああ見えてまだ中3なのよ。ちょっとだけ人よりしっかりしてるだけ。少しだけ身長が高いだけなの。私たちが変なのかもね。幼い少女を大人扱いして、それを商売のネタにしてる。普通の女の子なら誰だって、こんな長い撮影早く終わらせて帰りたいって思うんじゃない?私たちの感覚が麻痺してるのよ。」
「なるほど。そうですね。確かに、彼女はまだ少女だったんだ。」
撮影が終わったのは、9時過ぎだった。有利亜は急いで現場を後にして、人混みが人混みを呼ぶ夜の新宿を駆け抜け、電車に乗った。息を切らせて、額には汗が滲む。間に合わないかもしれないという気持ちが強かった。でも、どうしても会場には行きたかった。前日に調べておいた道程を駆け抜け、ライブ会場入り口の係員にチケットを見せた。係員は笑顔で対応し、それが鈴原有利亜だったことには気づかなかった。階段を駆け上がる頃には、大音量の音楽が聞こえていた。そして、曲が終わる。
「Thank you。本当にありがとう。このバンドを結成してもう6年。アルバムは4枚だしたし、大きなコンサートもやった。シングルがチャートのトップに立つことも珍しくなくなったし、俺たちのやれることはやったかなって思ってます。」
会場は静まり返った。有利亜は階段を上りきって、ステージが見えるところまで出てきていた。初めてみるA:rcands compのライブ会場の広さに圧倒されていた。
「思えば、最初はどうしても俺たちだけの音楽、やりたいことができるバンドを作りたくて、前にいた事務所をPONCHと一緒に飛び出して、SHINJIとQUROHを誘って始めたのがこのバンドの始まりで。売れない時代から支えてくれたファンの皆を裏切る形で、何度も音楽性の方針転換をしてきたわけだけど、その度に抱えてきた不安を、ここにいる皆が拭い去ってくれたね。ありがとう。」
一気に歓声が起こった。ライブの最終盤に差し掛かり会場の一体感は出来上がっていた。
「最初から決めていたことなんだけど、俺たちバンドは、俺たちの音楽を作るためだけの存在で、そうでなくなったら解散するって。この6年間自分たちのすべてを捧げてきた、このバンドが、表現の終わりを感じました。だから、俺たちA:rcands comp.は今日この日をもって解散します。今まで本当にありがとう。ありがとう。そして、バイバイ。」
悲鳴と落胆の声、そして怒号が一体となって木霊していた。有利亜は何が起こったのかよくわからないでいた、そして同時に世界が変わるということがこういうことなのかなと思った。とにかく自分の席につかなければいけないと思い、チケット番号と席の番号を照会しながら会場内を進んだ。悲劇的、ドラマ的な幕切れの会場内。ステージは暗転し、これ以上何も起こらないことを語っていた。帰ろうとしないファンの人々。その中を有利亜も同じように混乱と悲痛を味わいながら進んだ。有利亜は自分の席を見つけた。
「あ」
その席には、その場に馴染まない派手な花束が置かれていた。
「あの、すみません。ここ私の席なんですけど・・・。」
両隣の客に聞いたが両者とも首を横に振った。
「最初から置かれていたよ。その花束。邪魔だからどけてくれないかなぁ。」
場違いな質問に客もいらだっていた。有利亜は花束を抱え、その席に座り込んだ。会場の熱気とは裏腹に、有利亜の心は冷たい風が吹きすさんでいた。会場のファンがようやく客席を立ち、帰りだそうとし出した。有利亜ももうすることがなくて、花束を持って出口の方へ歩き出した。花の甘い匂いと、生々しい臭いが鼻を突いた。出口付近では係員が列を整理していた。有利亜はその係員に呼び止められた。
「あ、すみません。その花束を持っている方をご案内するように言われていますので。」
「え・・・。」
有利亜は、会場の出口とは反対側の関係者入り口の方へ案内された。その時の彼女の顔にはもうすでに確信的なものがあって、それでどういう顔をすべきかを選ぶ時間も十分すぎるほどにあった。幼さからくる打算と、早熟からくる鎮静作用が心をマーブル模様に変えた。
「遅かったね。仕事?」
HARUICHIは、そっと後ろから声をかけた。そしてゆっくり腕を回し、有利亜を抱きしめた。なぜ彼はこんなにも有利亜に好意を寄せたのか?それは有利亜にはわからなかった。
「ありがとう。俺たちの最期のライブだったから、君にぜひ見てほしかったんだ。」
そう言うと、有利亜の手を引き、舞台裏の通路をどんどん進んでいった。途中、何人かのスタッフが通りがかると、少し驚いたような反応を示したが特に何も言わなかった。ドアを開けて入ると暗い部屋に入った。鉄骨がいくつも組まれている。舞台装置がそこここにあり、舞台下だということがわかった。
「動かないでね。」
すると、有利亜とHARUICHIの立っている床が迫上がり、二人は観客のいない会場を一望できるメインステージに立っていた。
「3万人。今日集まってくれたファンの数。俺たちの音楽を聴くためだけに集まってくれた掛け替えのない人達の数。バンドが消えても、この人達が消えるわけじゃない。でも、やっぱりバンドは消えるんだよなぁ。」
「なんでバンド辞めちゃうんですか?」
「なんだろう?正直言うと確かなことは何もないんだ。6年間も同じメンバーとバンドやってると、同じ景色しか見れなくなってさ。新しい曲を書くための引き出しが無くなってきたってことかな。これが限界。たぶん世界を変えなきゃ、新しい曲は生まれてこないと思ったんだ。そりゃあ、50や60歳になってもこの4人でバンドやっていくっていう意味はあると思うんだ。でも、それじゃあ、結局老けた曲しか書けなくなるような気がしてさ。」
「私にはわかりません。私はずっとアイドルで居続けたいと思っています。50や60になっても“宇宙少女”を歌い続けたいし、そのためにもっと有名になりたいって思っています。それが当たり前だと思っていました。それが普通なのかなって。でも、HARUICHIさんは・・・。」
「はは。有利亜ちゃんは、それがキャラなんだよ。たぶん。俺も見てみたいよ60になって歌い続ける君の姿を。きっといつまでも綺麗なはずだよ。君はきっと同じことをずっと続けられる才能とかそういうのがあるんだろうね。人の望むものは結局叶えられるよ。」
「今日はありがとうございました。こんな大きなステージを見せてもらえて、いつか私もソロでこんな大きな場所で歌えるようになりたい。あ、それと、お疲れ様です。私たぶんHARUICHIさんのファンになっちゃいました。」
「好きだよ。有利亜ちゃん。俺は君が好きだ。最初から。」
「え?」
有利亜の両頬の温度が上がった。そしてHARUICHIの目がじっと彼女の目を離さないでいるのに気づくと、耳まで熱くなった。
「こんなオジサンじゃだめかな?犯罪だと思う?」
「え、いやそんなっ。」
「なら良かった。俺は君のすべてが欲しかったんだ、君が何と言おうとね。代わりに俺のすべてを君に捧げるよ。」
そういうと、HARUICHIは有利亜の唇に自分の唇を重ねた。
 



トップ 第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話 第7話 第8話 第10話